狂人日記

ある男の人生記録です

宗教問題を解決するには?

前にも書いたかもしれないが書いてないかもしれないので一応書いとく。最近電磁波の影響で物忘れが激しい。

宗教の問題に関しては多くの識者が批判検討してきたが、誰も語ってない視点から宗教を語ってみようと思う。

宗教を批判する場合には他の宗教を持ってくる他にない。宗教以外のもので宗教は否定出来ないからである。2ちゃんねるによくいるが彼等は科学でもって宗教を否定してるが奴等にとって科学が宗教になってしまっていることに気付いてない。そう書いたら科学は真理に辿り着く最高のツールであって科学と信仰は違うとやり返してきた。しかし、説明した通り宗教以外のもので宗教を否定出来ないのだから確実に科学信仰なのである。だって化学の言うことは9割が仮定の話なんだから。従って科学が正しいと信じてるに違いないのである。科学が真理に辿り着く最高のツールだと「確信」は出来ないであろう。岸田秀が語ってたが宗教を否定する人間はある特定の宗教に依拠してる熱烈な信者の如くこちらも狂信的になってしまうのである。ニーチェが提示した命題、怪物退治をするものが怪物にならない為にはどうすべきかという問題である。2ちゃんねるの宗教否定派はどうみても狂信的である。

そこでじゃあ、どんな宗教が理想的かと言うと養老孟司が言うように無宗教の宗教でもって宗教、要は1神教のことだか、を否定し自分達の考えは間違ってるととくとくと説く以外にあるまい。無宗教の宗教と言えば仏教と日本教である。何の因果か日本は2つの無宗教の宗教を持っているのであり、どこまでも徹底して無宗教の宗教の信徒なのである。このことは前に書いた。日本人に課せられた役割は大きく希望は日本にあるだろうと。しかし、そうはいっても一つ大きな問題がある。例えば宗教そのもの、全ての宗教を否定する場合には無宗教の宗教を持ってくる他にないが、そうすると全宗教の中で無宗教の宗教がトップに立ってしまうのである。従ってある特定の宗教を信じて依拠してる人間はプライドを傷つけられ、ますます自分達の信じてる宗教に依拠するようになるのである。これは難しい問題である。宗教を否定出来るのは宗教だけということは宗教を持たない人間はいないと言うことである。全ての宗教を信じない人間は無宗教の宗教を信じてると言わざるを得ないのである。日本人はよく、あれは、宗教だよなあ、と語るがそれも自分達が無宗教の宗教を信じてることに気付いてないに過ぎない。このプライドの問題に関しては養老孟司は触れていない。岸田秀は人間には必ずプライドが必要でプライドがなければ人間は生きていけないと語っていた。私もまだこのプライドの問題に答えを見出だせてない。全宗教の頂点に立ってしまう無宗教の宗教をどう理解させるべきか。養老孟司はそれは0のことだよと言う。そう説明すれば通じるのではないかと。そう説明して通じるのは無宗教の宗教を信じてる人間だけである。従って、ある特定の宗教を信じる人間は理屈は理解しても自分達が依拠してる宗教から脱する気は起きないだろう。いや、数字のゼロだと言われたら数学的真理は反論の余地がないからかえってますます意固地になり自分達の信じてる宗教に依拠するはずである。養老孟司はこの問題に関しては論じてない。私も答はまだない。一体どうすべきか。1神教がおかしい宗教だと自然に気付くまで待つべきであろうか。どうすれば説得力を持たせて1神教を捨てさせることが出来るだろうか。仏教を持ってくると1神教を完全に論破出来るがそれで上手くいくだろうか。やはり、仏教の慈悲の力によって説得すべきであろうか。今の私にはよく分からない。養老孟司岸田秀の意見を是非とも聞きたいものである。このブログを読んでるかな。私のブログの内容に反応してくる芸能人がいるので読んでるかもしれない。