狂人日記

ある男の人生記録です

日本人が抱える最大の問題は?

1つは日本人がビビりだということ。2つは日本人が取り残され恐怖をもつことである。これがほとんど全てだと思われる。日本はアメリカの属国であるのに属国脱却をしようとしないのもアメリカがこわいからだ。北方領土竹島の領土問題に関してロシアと韓国に強気になれないのもロシアと韓国が怖いからだ。日本では妙に在日が優遇されており、腹を立ててる日本人もいるだろうが、それは日本人がかつて朝鮮を侵略した負い目があるわけではなく韓国を敵にまわすのが怖いからだ。ヨーロッパはアメリカから離れてアメリカに対抗する為にユーロが生まれたが日本はアメリカが怖すぎて国際情勢を見誤りアメリカ追従である。どちらかと言うと右翼だが、自民党アメリカに妙に追従してるが、それもアメリカが怖いからだ。ストックホルムシンドロームにかかってると思われるが、右寄りであるくせにアメリカ追従だから自民党の精神構造は歪んでいるだろう。自民党が弱者にやたら冷たく富裕層を優遇するのはもちろん優越感に浸りたいわけであるが、アメリカの属国である、圧倒的現実を否認して弱者を苛めることによってその屈辱を果たしているのである。アメリカの真似事をしてるとも思われるが金融資本家にはやたら甘い政策を実施するのもアメリカの属国だからだ。日本を不幸にするだけの自民党をなぜ国民が支持してるのかは、単純に考えて自民党より野党が馬鹿だからだが、もう1つは自民党の歪んだ精神構造、右寄りなのにアメリカ追従という屈折した感情を共有化してるからだと思われる。かつての提灯行列を見ても分かる通り日本は基本的に反米である。しかし、アメリカが怖すぎる為に属国脱却を図ることが出来ないないのである。この日本人のビビり問題に関して真剣に議論している人間をほとんど見たことない。ほぼ全国民が抱えるコンプレックスである為にこの問題に触れたくなく認めたくないのである。コンプレックスと言えばおっぱいが大きいのがコンプレックスだとか、身長が低いのがコンプレックスだとか意識の領域にある劣等と思われる対象を指すことだと思われてるがこれは誤用である。本来は無意識的葛藤のことをコンプレックスというのである。無意識といっても日本人の場合このコンプレックスをうっすらと知っている状態であろう。フロイトの言葉を用いれば前意識的段階にあるコンプレックスと言えよう。日本会議とかいう右翼(?)的団体があるが、奴等もこのコンプレックスを抱えているのである。答えは簡単である。足元に転がっているのである。それを認めないのはかつて敵無しだった白人を初めて打ち負かした歴史があるため単純に日本人のプライドが許せないのである。この問題を克服したら日本の抱える問題のほとんど全ては解決出来るだろう。

日本人は傷つくことを異常に恐れる遺伝子、恐怖遺伝子を国民の98%が持っており遺伝的な問題とも言えるから話は厄介である。かつては武士道があり、気骨あふれる日本人がいたが、日本人の武士道精神に手を焼いたアメリカが日本人を骨抜きにすべく日本人から武士道精神をとってしまった。恐怖遺伝子を持つ日本人には武士道はうってつけであったがアメリカの占領政策の為に日本人は武士道精神を失ってしまった。岸田秀が語ってたが、バスがハイジャックされた際に男性の乗客が真っ先に逃げたので日本人はここまで骨抜きにされたかと嘆いていた。日本人はふにゃふにゃしてしまった。果たしてどうすべきであろうか。武士道精神を取り戻すべきであろうか。しかし、そうすると、アメリカと韓国が猛反発するであろう。日本人はそれを恐れているのである。つまり、かつて、松岡が国連を肩で風切って脱退した日本人はその面影もなく今では外国に対して本当に弱気で遺憾砲を発射するだけだが、そうなってしまったのも武士道精神を失ったことと無関係ではあるまい。しかし、武士道精神を取り戻そうとするのはアメリカと韓国を怒らせてしまうのじゃないかというジレンマに陥っているのである。どうすべきか。

もう1つの問題取り残され恐怖も日本人のビビり体質と根は同じところから出ている問題である。日本人は外部に信仰の対象を持ってしまう変わった民族である。和魂漢才、和魂洋才と言われるのがそれである。自民党は和魂米才という感じでアメリカべったりでアメリカに依存してるが、それも取り残され恐怖があるからだ。なぜ外部に信仰の対象を持ってしまうのかと言うと簡単な話で内部に信仰の対象がないからである。神道があるがこれは教義が何もなく信仰の対象にはなり得ない。人間はその本質的体質によって必ず信仰を必要とするのである。科学者のリチャード・ドーキンスは信仰は必要はないと信仰を攻撃しているが、彼は自身にとって科学が信仰になってしまっていることに気づいてないに過ぎない。信仰を攻撃出きるのは信仰だけだから、ドーキンスは科学を信仰し、科学でもって信仰を攻撃しているのである。科学も宗教も信じてない人間は無信仰の信仰という信仰を持っていると言えよう。従って信仰を持たない人間はいないのである。そして、なぜ日本人は内部に信仰の対象を持たないかと言うと日本の内部には絶対的に何もないからである。これこそが日本人の良点を生み出し難点を生み出す要因である。根は同じところから出ているのである。良点は有事の際に矢継ぎ早に日本を変えることが出きること。内部に何か持っている民族や国はなかなか、自分達を変えることが出来ないだろう。かつては中華思想を持つ中国がそうだった。難点は押しに弱いこと、ビビりなこと、そして取り残され恐怖を持つことである。押しに弱いのは内部に何もないから当然と言える。押しの強い人間は後ろ楯を持ってるが日本人はなんも後ろ楯を持ってないので押しに弱いのである。ビビりなのも、かつては武士道精神があったと言っても江戸時代に日本を訪れたヨーロッパ人が日本人の民族性を高く評価しつつも、日本人には1つだけ欠点があると言い、それは日本人は臆病だと語っており武士道精神があった時代から日本人はビビりだったとのである。遺伝的な問題でもあるため難しい問題なのである。取り残され恐怖はかつてバスに乗り遅れるなと言いナチスファシズムのイタリアにくっついたように今でもこの体質は変わってない。最近でもマスコミが国際社会に取り残されない為にバスに乗り遅れるなと、言っていた。日本人が洋服を選ぶときに値段やデザインで選ぶのではなく、ブランドで選ぶのもこの症状である。後ろ楯がない為にブランドものを身に付けてないと不安に襲われるのである。全身有名ブランドに身を包んだ人間がいるがこれも一連の症状である。デザインではなく、あくまでも世界的に通用してるからという理由でブランドものを身に付けてるに過ぎない。

日本の左翼は愛国左翼ではなくて反日左翼だが、それも文化の中心に何もなく後ろ楯がない為である。外国人の押しの強さに押しきられているからだと思われるが、外部に信仰の対象を持ってしまうこととも無関係ではあるまい。民主党は母の国韓国とほざいており、これは外部に信仰の対象を持ってしまうその体質が病的現象として出てきた症状と言える。(父の国アメリカといったところか。全く与党も野党も期待出来ない)自民党は右翼的であり左翼的だが外国には甘く身内には厳しいのも一連の症状である。かたや内部を見てみると、日本の共同体は身内には甘く外部の者には冷たいと言える。岸田秀が官僚病の起源で語ってたが日本人は共同体内部の不正について甘く隠蔽体質があり、その罪を隠そうとするが日本人は外国に対しては外部に甘く内部に冷たいが、これが内部にずらされると逆転して外部に冷たく内部に甘くなる構造を持ってると言える。私は反自民党の左翼だが反日ではない。日本がもっとよくなればいいと思ってるのだけである。アンチ的姿勢は一種の思考停止に陥ってしまうとも言えるが私は日本の未来を思うと自民党には期待出来ず基本的に自民党とは反対の立場であるための反自民党ということである。

日本人が横の繋がりが弱く団結力がないと言われるのも内部に何もないからであろう。横の繋がりを保証する内部的中心、立脚点がないからである。これが押しの弱さの原因でもあるであろう。ヨーロッパ人が押しが強く自我を確立しているように見えたのは内部にキリスト教という立脚点があったからにすぎないが、日本人はヨーロッパに対抗する為に京都にすっこんでた天皇を持ち出し天皇を絶対化し、天皇を立脚点に置き国家神道を作った。これは半分は成功したが副作用も強く例えば、大宰や漱石等の病んだ作家を生み出してしまい、国民は対人恐怖症になってしまった。強い自我を持とうとした副作用であった。ヨーロッパを初めて日本は打ち負かしたから確かに一応の成功をおさめたとも言えるが、八紘一宇の理念も生まれろくなものでなかった。そして、かなり無理をして強い自我を持ってしまった為に長続きしなかった。一体どうすべきか。内部に何もないが故に何か持とうとすると思考が絶対化するのである。外国人に日本人はゼロか100でしか物を考えることが出来ないと言われる所以である。大日本帝国の大失敗があるのに、今でも八紘一宇を唱える人間が出てくるのも未だに思考が絶対化された人間が出てくるのも、かつての夢に共鳴してるとも思われるが、これもその一例である。原因はそこに転がっている。あまりにも明白である。しかし、解決策を見出だせない。養老孟司は日本の思想は無思想の思想だと認識する必要があると言うがそれで上手くいくだろうか。それは私には分からない。少なくとも現与党の自民党には解決は無理であろう。小泉環境大臣は人口削減を考えていてネガティブな一億人よりポジティブな6000万人の方がよいと馬鹿なことをほざいていた。6000万総ポジティブである。そんな国家なんてあり得ない。なんて馬鹿な発言なんだろう。人間は時にはネガティブになることも必要だと知らないのである。陰と陽である。そのバランス感覚こそ重要なのである。こういう奴が有事の際に一億玉砕とか言い出すのであろう。滝川クリステルと結婚したが、どういう男を選んだかでそいつの人間性がわかってしまうだろう。要するに地位と名誉にひかれたのであろう。私は低学歴だがこいつらは高学歴だが、本物の馬鹿なんじゃないかと疑ってしまう。こんな奴が将来の首相候補なのかと思うとうんざりしてくる。漫画の稲中卓球部に猿に核のボタンを管理させるギャグがあったがそれに近いものを感じる。

とにかく日本の抱える問題は分かりきっている。内部に何もないのが問題である。内部に何か持とうとして失敗したのが大日本帝国である。だから、内部に何か持つことには抵抗を感じる。これはアイデンティティ的な非常にデリケートな問題である。養老孟司がいうように日本の思想は無思想の思想だと認識すべきだと思うが世界的に通用するだろうか。外部に繋がりを保証する立脚点を持ってないのが日本の弱みである。外国は多くがキリスト教徒、あるいはイスラム教徒だし、大陸人は同じく大陸人であるし、侵略したりされたりを繰り返してきたから自己主張が強くなったと言える。彼等には外部に繋がりを保証する思想があると言える。だから強く自分達に自信を持ち自己主張出きると言える。(自己主張の強い中国の中華思想は広く信仰されているとは言えないが、しかし、中国には世界的に有名な思想家がたくさんいるし、同じく大陸人で侵略したりされたりを繰り返してきた歴史があるため自己主張出きると言える。やはり、同じ大陸人であることのメリットはあると言えるだろう)何もなくなれば日本人と同じく対人恐怖症になるのである。キリスト教の幻想が崩れ、後ろ楯を失ったヨーロッパ人はそれまで日本にしかいなかったと言われてた対人恐怖症患者が出てきたのである。何もなくなると日本人と同じ症状の患者が出てくるのである。従って外国人の押しの強さは後ろ楯のある強さであって何も無くなれば病気になるのである。(現代の資本主義社会に限った話だが)従って、日本の思想、無思想の思想が外国人に理解され、無信仰の信仰の信徒が外国から出てきた時に初めて日本人は自分達に自信を持つことが出きるようになるだろう。仲間が出来るので外国人に対しても強く打って出れるようになるのだろう。

日本のアニメやゲームが海外で受けてるし、ネットが海を超えボーダレスになり、ネットで外国人の意見を目にすると日本人と大して変わらないことがわかる。従って昔ほど日本人は外国人に対して引け目に感じることはなくなったかも知れないが。