狂人日記

ある男の人生記録です

馬鹿な与党。馬鹿な野党。馬鹿な右翼。馬鹿な左翼。アメリカとの相克の中で。

一体誰がこんな国にした。日本は一億総中流社会が音を立てて崩れて今では貧困層が産まれて階級化してしまった。小泉と竹中が自由な市場、小さな政府を標榜し社会補償費削減、競争社会を作り、貧富の差が開いてしまった。こいつらはアメリカの意向を受けて日本に新自由主義を取り入れた魂をアメリカに売り渡した売国奴であり、全く評価出来ない。特に竹中は酷い。こいつは完全に精神がイカれており、自由な競争社会こそ人間を幸福にするという理念の元に新自由主義社会を取り入れた。そして貧富の差を拡げておりながら、自分はパソナグループの会長に就任して富豪の富を得て上から目線で社会の敗者を見下し、優越感に浸ってるのだ。こいつは典型的にストックホルム症候群に罹った患者である。ストックホルム症候群とは本来ならば敵視する相手に対して媚びて言いなりになってしまう症状のことである。日本はいつもアメリカの言いなりで反抗出来ず、その実屈辱を感じてるがアメリカガ怖いか反論出来ず、憎しみを抑圧する。竹中は完全にストックホルム症候群に罹ってると言って良いだろう。小泉も同じだ。こいつらは実際の所は屈辱を感じてるはずだ。そして安倍政権となり安倍はアベノミクスが失敗したのにも関わらず安倍政権は長期政権となり消費税を2回も上げた。デフレ下で消費税を上げたら更に金が回らなくなり消費は冷え込むだろう。実際にそうなったのにも関わらず安倍は支持率が高かった。国民が馬鹿だとしか思えずマゾだとも言えるが、政治家とは国民を写す鏡だとはまさにこのことである。

橋本内閣時代に日本は没落した。橋本は日本を貧しくた張本人である。失われた20年を作ったのは橋本である。日本はバブル崩壊してから、徐徐に立ち上がり、景気が上向きに差し掛かった頃に橋本が総理になり、橋本は14兆円もの巨大緊縮財政を施行し、内容は消費増税5兆円、特別減税廃止3兆円、社会保障負担増2兆円、公共事業削減4兆円というメガトン級の国民シバキ政策を施行した。せっかく立ち直った日本経済は大ダメージを受け、深刻な景気後退に陥いった。挙句の果てには、バブルの負の遺産である不良債権問題に着火し、未曽有の金融恐慌に発展して、戦後最悪の不況に突入し、自殺者が1年で1万近く増える大惨事になった。経済はデフレに転落し、失われた20年の原因となってしまった。勉強不足だから私は詳しいことは知らないが、小泉と竹中が日本を貧困に追いやったように思えるが最初に原因を作ったのは橋本である。しかし、もっと遡れば池田勇人に原因があるであろう。石橋湛山と言うジャーナリストから総理になった人間がいるが、石橋は在米駐軍費削減を訴え、GHQに公職を追放されたが、追放処分が解けて鳩山一郎とともに政界に復帰し総理になる。その時の大蔵大臣に安倍の祖父岸信介がいたが、天皇は岸は東郷よりも罪が重いと思うと言っており、後に岸が総理になり日米安保条約を結んだが、気骨ある人間、石橋湛山が総理を続けてれば未来は変わったと言われている。日本とアメリカの関係も違ったものになってたかも知れない。湛山は鳩山内閣の頃にGHQの意向を無視しましょうと言っており、国民からの人気も高かった。病気の為に総理在職期間は僅か66日であった。しかし、人気が高かったのは日本人の反米感情を汲み取ってたのだろう。つまり、日本人はやはり、基本的には反米であろう。あれだけのことをされたから当然であろう。大量に虐殺され、人類史上最大の戦争被害を被り東京裁判で悪の国家として裁かれたのだ!これだけのことをされたら誰でも反米になるだろう。ならないのは、一部のストックホルム症候群に罹った患者だけである。しかし、ストックホルム症候群とは本来なら敵意を抱く相手に媚びを売る症状だから、こいつらも、本音を抑圧してるだけで基本的には反米であろう。従って日本人の殆どは反米であろう。私はアメリカは嫌いだが別に反米ではない。アンチ的姿勢を取るのが嫌なのである。これは一種の思考停止を招くだろうし、何かに依拠することでもあるからである。日米軍事同盟は果たして正しい選択だったのだろうか。次に総理になった池田勇人国民所得倍増計画を打ち出し、国民総生産(GNP)を10年以内に26兆円(1958年度価格)に倍増させて、国民の生活水準を西欧先進国並みに到達させるという経済成長目標を設定し、内政と外交を結びつけることで、完全雇用の達成と福祉国家の実現、国民各層間の所得格差の是正をはかることを目指した。これは引用文だが、日本は確かに奇跡の復活を遂げてみるみると経済大国になったが、果たしてこれは正しかったのか。今の日本人を見てると幸福そうに見えない。日本の経済発展は戦争の続きだと言う説があり、当たってると思うが、確かに豊かになり経済進出を図ると、アメリカの企業を買収したりして日本人は戦争で負けた屈辱を経済的に晴らすことが出来て喜んだのであった。しかし、バブル期真っ只中から自殺者数は多かったし、経済的に豊かな社会が本当に幸福な社会かは甚だ疑問である。池田勇人は確かに日本を豊かにすることに成功したが、自民党一党独裁体制を築き上げた張本人であり、55年体制を築き上げた罪があるであろう。

しかし、問題は与党だけでなく野党にもあるだろう。本来なら左翼は人権、自由、平等を標榜し、革新的、進歩的であるにも関わらず(そんな左翼が良いとは思わないが)、民主党が与党になると韓国に媚を売り日本の罪を謝罪したのであった。国民は小泉、竹中時代に日本が格差社会になり、与党に期待出来なくなり、民主党は302議席を獲得して政権与党の座に居座ることになったが、マニフェストは虚しく実現出来ず、有名な「最低でも県外」案も実現せず沖縄の人達のみならず、日本国民を失望させた。鳩山は脱官僚、政府主導、国民の政治を標榜していたが、全て実現出来ず、政治運営能力のなさを露呈した。鳩山は日本と韓国と中国の3国の共同体を作りあげ、アメリカ追従から脱しようとし、国民を期待させたが、そもそも韓国と中国の反日感情を緩和化すること自体が容易ではなく、これも失敗に終わり結果的にアメリカとの間に亀裂が走るだけであった。民主党は母の国韓国と言っており、鳩山は日本人が朝鮮人に行った蛮行(?)を深く謝罪したのだ。日本が朝鮮を豊かにし、学校を5000校以上作り植林をし、奇妙な風習(うんこを舐めて誰のうんこか当てるゲーム等)を廃止して、人口を増やして平均寿命を伸ばしたのだ。そういった歴史的事実があるにも関わらず、悪い面だけを見て謝罪をしてるのだから、究極のアホ左翼大江健三郎と変わりないだろう。GDP民主党時代の方が高かったから自民党よりはましだったが、鳩山の次に総理の座についた菅が原発事故における、被災地支援の遅さ、杜撰な指示を出し無駄に現場を混乱させる等して被災者を失望させた。かつては菅は確かに政治家として期待を抱かせる人間であったが、いざ総理の座についてみると、現総理の菅と同じく総理の器ではなく支持率が急落した。次に野田豚が総理になり、どじょう総理等と呼ばれて菅と同様発足当初は支持率は高かったが、3党合意における増税を施行して支持率が落ちた。民主党自民党と違って内部分裂を起こしてるが政策を決定する段になると自民党は結束するが、民主党はてんでバラバラで与党としては何とも頼りないのであった。結局三年に及ぶ与党時代にたいしてマニフェストを実現出来ず、国民を失望させて、自民党1強体制を強化する流れとなってしまった。国民は野党に期待出来ないものだから、自民党に投票せざるを得ず、安倍が政治を私物化し、森友問題、桜問題等問題を起こしても罪悪感ゼロで問題を追及されても平然とはぐらかし、平気で嘘をつき最悪な総理であり、そんな安倍を支えたのはだらしない野党である。かつて民主党は志しが高く確かに期待を抱かせたが、実際に政治をやらせてみたら、余りの体たらくぶりに国民はがっかりした。今ではただ単に自民党を非難するだけの批判政党であり、全く期待出来ず、結局自分たちの保身しか考えておらず、国民目線の政治の出来ない自民党と大して違いがなく、最悪だった。

日本には反日左翼、売国右翼がいるが、愛国左翼がいないことが悲劇であった。本来ならば左翼は愛国的になるはずだが、日本の左翼は大江健三郎のように東京裁判史観に立っており日本は軍国主義に突っ走り近隣諸国に迷惑をかけたのだから、謝罪と賠償をすべき悪しき国家であり、日本は悪の側であり連合国側が正義であるという考えに立っているのである。先に小泉と竹中がストックホルム症候群に罹ってると書いたがこいつらもストックホルム症候群に罹ってると言えるだろう。一方右翼は大日本帝国は正義を遂行する天皇を頂点に置いた国家であり、自我の拡張政策、植民地主義を貫きアジア、アフリカ各国に迷惑をかける白人ヨーロッパ勢力を駆逐するために崇高な理念の元に八紘一宇を提唱し、大東亜共栄圏を築き世界に平和をもたらし、亜細亜の名主として鬼畜白人国家と戦う崇高なる国家であった。読んでみて直ぐに分かると思うが左翼も右翼も同じく馬鹿である。左翼は言うまでもなく馬鹿だが、右翼も馬鹿である。何故馬鹿かと言うと、この右翼と左翼は根本は同じところから出てきた派生物であり、構造的本質として全く同じでコインの両面であるからである。従って左翼が馬鹿なら右翼も馬鹿にならざるを得ないのである。大体が日本が亜細亜の名主を標榜しているのが実にはた迷惑である。八紘一宇の理念は日本人には気持ち良いのかも知れないが他国の人間にとっては実にはた迷惑と言う他になく、他国の人間が天皇を崇拝する理由はない。これは日本人は主観的には他国の為を思う一種の思いやりとも取れるが、客観的には自分達の都合のことしか考えてない実に馬鹿な発想なのである。大東亜共栄圏も同じ理由から説明できるだろう。日本が亜細亜の名主になることに一体誰が共感するであろうか。日本人の独りよがりである。同化政策も主観的には相手の立場を思った思いやりであり、世界に名だたる崇高なる天皇を中心に置いた偉大な国家である、日本人になることは名誉なことだとされてるが、これは、日本人には気分が良いのだろうが、客観的には相手の立場を考えるどころか相手の立場を完全に無視した傲慢な政策である。ヨーロッパ人は異教徒をキリスト教徒にしたがったが、ちょっと似てはいるが、本質的には異なるのであってヨーロッパ人は異教徒をキリスト教徒にしたのではあるが民族のアイデンティティには無関心であったのに対して日本人は民族の根幹に関わるアイデンティティを根こそぎにしたのである。ブラジルのカラテカフランシスコ・フィリオの師匠の日本人カラテカがフィリオに日本人になりなさいと言っていたが、日本人はこれが、カルトでも何でもなく善意なのである。フィリオは、「私はブラジル人です。日本人にはなれません」と言っていたが、これは当然のことだろう。ここが日本人の恐ろしい所である。日本には自前の宗教がなく、文化の中心に何もないから、危機になると他民族を日本人にしたがるのである。仮に自前の宗教があったら、同化政策はせずに自前の宗教を押し付けただろう。同化政策は自前の宗教を持たない民族の病的症状である。私のブログで私は鶴崎と言う奴に洗脳されて人格を破壊されたと何度か書いたが、鶴崎も自分と同じ自分を作ろうとしていた。私の好きなものを徹底的に否定して自分の好きなものを押し付けてきた。私には至極迷惑であったが、鶴崎にとっては確実に善意なのである。私は葛藤に捕らわれて苦しんだ。好きなことが何も出来ずに鶴崎が認めたものだけが、価値のあるものであり、私が好きになるものは鶴崎が認めたものだけであった。今にして思うと殺意を抱き鶴崎を八つ裂きにしてやりたいが、ある時私が鶴崎の芸風を真似したら(鶴崎は芸人志望であった。自分で松本人志に似てると言っていた)、鶴崎はうっとりするように私を眺めて実に嬉しそうにしていた。従って鶴崎が自分と同じ人間を意図的に作ろうとしてたのは確実である。日本人はアイデンティティ的危機に陥ると同化政策を取るようである。実際に鶴崎は追い詰められていた。可愛そうな事情もあるから、同情の余地はあるが、やはり、ムカつく。笑えるのが私はセックス・ピストルズの大ファンであったが、鶴崎セックス・ピストルズが好きになれず、私のことを否定したかったのだが、鶴崎は私にブルーハーツを押し付けてきたのだが、そのブルーハーツのメンバーがセックス・ピストルズに多大な影響を受けてたので否定しようにも否定出来ずに困っていた。ざまあみろである。で、話を戻すと、確かに日本は植民地にした国を必ずと言って良いほど豊かにしたからその点は高く評価出来るし、何れ植民地支配はほっといても終わっただろうが、日本の引き起こした戦争が植民地支配の終演を早めた面もあるからこの点も評価出来るが、八紘一宇大東亜共栄圏は全く評価出来ない稚拙で幼稚な理念と言わねばなるまい。低学歴で馬鹿な私から見ても実に幼稚で馬鹿な理念に見えるのだから相当馬鹿な理念であろう。実際にあの宮沢賢治日蓮宗の田中智学が提唱した八紘一宇の理念に共鳴しており、あれだけ生命愛に溢れた宮沢賢治が共感したのは不思議だが、人間には二面性があり、ある特定の部分では偉大な才能があるが、別の部分では死ぬほど馬鹿な人間とはいるものである。日蓮宗仏陀の真意から外れており、仏陀日蓮宗の教えを知ったらこれは私の教えではないと言うだろう(日本の全ての宗派に言えることだろうが)が、しかし、先に説明した通り別の部分では死ぬほど馬鹿な人間はいるものである。コンピューターの原理を発明した人間も優性思想の持ち主であった。右翼にカルト日本会議がいるが、こいつらも根本は左翼と同じ所から出てきた組織である。日本会議大日本帝国時代の日本を取り戻そうとしており、自民党とパイプがあり、閣僚の8割が日本会議のメンバーであることは注意が必要であろう。日本会議のメンバーは第二次世界大戦の敗戦を認めておらず、かつての日本を取り戻したいらしいのであるが、日本のことを思うのであれば、さらに真の愛国者であるのであれば、(私は愛国心に懐疑的だが)敗戦の原因を突き止めて反省し2度と同じ過ちを犯さず、日本がアメリカの属国であることを素直に認めて、どうやったらアメリカの属国から脱却出来るか考えるべきであろう。しかし、日本会議は違うのだ。敗戦を認めてないのである。日本人は敗戦を終戦と言い換えて基本的に敗戦の屈辱を認めてないが、これが良くない。アメリカは卑怯だったし民間人を112万人も殺した罪を犯した癖に東京裁判で日本を裁くと言う信じられない愚行を行ったが、アメリカがそんなことをするから、カルト日本会議が出てくるのである。問題は難しい。日本は欧米と違って良いこともしており、植民地化した国を必ず豊かにしている。そういう面があるから、日本人は連合国側に反発を覚えるのであろう。最初は欧米が世界中を植民地化したのであって、これが原因であり、欧米に罪があり、日本は東條が言うように戦争に巻き込まれた面もあるのだから、被害者意識が強くなるだろう。仮に第二次世界大戦は全ての国が基本的に悪であり、日本だけでなく、アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリア、フランスにも罪があると認め、日本には確かに正義があり、それは正当性があり、日本が植民地化した国は豊かになったことが高く評価されれば右翼は満足し(日本人のことだからかなり満足すると思う)左翼は日本を非難出来なくなり滅ぶだろう。しかし、この問題は難しい。国際的にヒロヒトは戦犯で通っており連合国側が罪を認めるのはかなり難しい。大航海時代が劣等感、屈辱、嫉妬心克服の為にあり、奴等は被害者意識の塊だったのは、例えば日本の捕虜にされたイギリス兵が日本を訴えてることでも明らかである。自分達が散々悪逆非道な小子内をしてたくせに、捕虜になると訴えることが出来るのは被害者意識が強い者だけである。従ってこれはプライドの問題であって日本も欧米も被害者意識が強いことでは同じであり、お互いに正義を正当化しており、自分達の罪を認めるのは難しい。ローマ法王がこれまでキリスト教徒が行った蛮行を謝罪したが、今でも国際的に日本、ナチスドイツ、ファシズムイタリアが悪であり、アメリカを初めとした連合国側が正義だとする歴史観が一般的であり、こいつらが自分達の罪を認めるのは極めて絶望的である。従って日本は右翼も左翼も消滅せず、日本の未来は極めて絶望的である。日本会議教育勅語を復活するのだろうか。安倍は森友学園の子供達に教育勅語を教えていた。うんざりしてくるが、また、同じ過ちを犯すのだろうか。日本会議は、

・すべての宗教は天皇より発するなり。大日如来も、イエスキリストも天皇より発する也
・先天的に日本国が世界の首脳国であり、日本人が世界の支配者として神から選ばれた選民である
大日本帝国は神国なり、大日本天皇絶対神にまします。大日本民族はその赤子なり

と言っており、これは日本会議の標榜する理念であり、読んでみて直ぐに分かるとおり、実に1神教的である。かつて、心理学者の岸田秀大日本帝国は1神教の模倣であると看破してたが、間違いなく1神教に対抗する為に出来た理念であろう。明らかに1神教の反動形成として出てきたとしか思えない。1神教自体が実に幼稚で可愛らしい(化け物でもあるが)ものであり、一種の特にキリスト教がギャグみたいなものであるが、そのお笑いの要素を日本会議も含んでしまってると言えるだろう。1神教の模倣なのだからそうなるのは必然的帰結であろう。お笑いナチズム、お笑いキリスト教、お笑い大日本帝国であろう。私にはギャグにしか見えないが、しかし、キリスト教徒とナチスは人を殺しまくったから笑ってはいけない面もあるだろう。同じくお笑い大日本帝国と言ってもギャグにしたり馬鹿にしたところで問題は何も解決しないだろう。奴等はマジだからである。一体どうすべきか。問題は日本が右翼と左翼に分裂をしていることである。日本を分裂状態に追いこんだのはアメリカである。従ってアメリカに対する憎悪、恨みを持ってることでは右翼も左翼も同じである。何で左翼がアメリカに憎悪と恨みを持ってるかは既に説明した。問題はアメリカ恐怖である。右翼は日本人にはヤマト魂が宿り、誰にも負けない強い精神を持っていると言うがこういう、ありもしない幻想を持ってくること自体がアメリカに恐怖を抱いてることを証明するのである。問題は日本とアメリカの2つである。日本の問題は文化の中心に何もないことに起因する。文化の中心に何もないから分裂をするのである。岸田秀は日本は右翼と左翼を統合する必要があると言うがこれは無理な話である。元々文化の中心に何もないから、衝撃を受けると分裂をする素地があるのであって、右翼と左翼を統合すると言う考えは日本は元々アイデンティティ的に自我を確率してたという前提に立っている。日本人は歴史上一度も確固としたアイデンティティを築いたことはない。右翼は大日本帝国時代の日本を真の日本と錯覚してるが、当然のように大日本帝国は本当の日本ではない。ではどうするかと言ったら、まず、日本の中心には何もないと自覚することだ。そうすることによって客観的になれて、何故日本が分裂をしたのかが分かるだろう。話を最初に戻すと政治的無知、或いは売国も根本は同じところから出てきた問題であると分かるだろう。先人は言っている。知らないを知らないとせよ。これすなわち知るなり。或いは汝自身を知れと。自分を知らずして日本の改革もない。日本人は自分達を知ることによって政治的無知から脱却し、右翼と左翼の問題も解決出来るだろう。

私はいつも不思議に思うのだが日本の右翼は大日本帝国を復活したがってるが、そうすると必然的に反米になるはずである。しかし、右翼は親米右翼である。何故であろうか。明治になり、中国と朝鮮は頼りないと言うことで脱亜入欧を掲げ和魂洋才になったが、右翼は和魂米才と言った感じである。日本会議はこの和魂洋才の問題をどう処理するのだろうか?天皇を絶対化し昔の日本を取り戻したいようだが、今の日本は多分に欧米文明に影響を受けており、PCやスマホがあり、着るものも洋服である。洋食も大人気であるし、アメリカやヨーロッパの音楽も日本でも大人気だが、かつてはそれらのものは敵対音楽と言われたが、同じ事を繰り返すのだろうか。右翼なら必然的に反米右翼になるはずだが、そうならない。何故ならないのだろうか。この矛盾をどう説明するのだろうか。私にはよく分からない。誰か教えて、賢い人。

今の日本は格差社会だが自民党の馬鹿と野党の馬鹿は大して打開策を出さない。今の日本の政治家で本当に日本の事を思う政治家はほとんどいないだろう。小泉、竹中時代に格差社会になり、国民の不満がたまり、民主党が国民の期待のもとに与党になったが、マニフェストは空回りで全く役ただずだった。格差が広がればそれだけ、経済的理由から恋愛も結婚も諦めざるを得ない人間が出てくるわけで、そうすると結果的に少子化になり、そこから付随する様々な問題が出てくる。自民党少子化対策として移民を1000万人入れるようだが、移民が増えると、犯罪の増加や職を奪われる人間が出てくるし、ヨーロッパでは移民を入れた弊害が問題になってる。そういうサンプルがあるのだから、自民党はそれを参考にすべきで私は移民を入れることには反対である。今の日本では両親共働きじゃなきゃ生活を出来ず、ろくに子供の面倒も見れない家庭も多いだろう。だから、最低賃金を上げて、非正規社員をなくして、パートの給料も上げて、しっかりと子育てを出来る環境を作り、格差を是正すべきだろう。そうすることによって経済的に豊かになれば、恋愛も結婚も出来て共働き家庭も減って子供の面倒も見れるようになり、それだけ日本は幸福になるだろう。しかし、自民党はそれをするきがない。野党もない。格差社会は子供の教育問題にも深刻なダメージを与えるので、小泉と竹中の罪は重たいだろう。両親共働きで子供を構ってやれない家庭で育った子供が将来大人になった時にどういう大人になるか。問題があると言える。しかも、貧困は連鎖するので貧困家庭は貧困から抜け出せない。問題だらけである。先にも書いたが、自民党日本会議のメンバーが多い右翼のくせに常にアメリカの言いなりである。何故右翼なのにアメリカ追従であろうか。謎だが、私が思うに単純にアメリカが怖いのだろう。反抗出来ないのである。まさにストックホルム症候群に罹ってる言え、その為に屈辱が溜まるから、より、右系化すると言える。大日本帝国に夢を馳せて、屈辱を克服しようとしてるが、アメリカが怖いから屈辱を晴らせず、その屈辱をアメリカの社会的弱者を攻撃することによって晴らしたりしてるが、全く無意味である。自民党は国民皆が幸福になることが許せないのではないか。不幸な層を増やすことによってアメリカの属国である屈辱を晴らしているのだろう。自民党は100%アメリカの属国であることに屈辱を感じてることは日本会議のメンバーが多いことからも明らかである。従って劣等感補償をするとしたら、かつてのように朝鮮を脅して植民地にするわけにはいかないから、内に目が向かったのだろう。自分達と同じく裕福で豊かに暮らせる人間を生み出す政策を実行し社会を格差化して優越感に浸る以外に劣等感を補償出来ないのである。実に哀れである。日本会議が日本を良い方向に変えることも100%ない。これは断言出来る。日本会議の理念も虚しい空論で終わるだろう。大体が、神国日本を仮に取り戻した所でアメリカの属国から脱却するなんて無理に決まってるではないか。そんなことは過去の歴史を調べれば明らかである。アメリカがそんなこと許すはずがない。それが、見えないのは信仰だからである。信仰で有るがゆえに盲目になり、所謂、日本に課せられた現実が見えなくなるのである。実際に大日本帝国は現実が全く見えてなかったのが敗戦の最大の要因であった。物量の差もあったが、それだけではなく、杜撰な作戦が日本の敗因の最大の要因であった。その負の側面を見ずに反省もせず、日本会議は神国日本を取り戻そうとしてるのだから、終わってると言える。石橋湛山が言うように大日本よりも小日本でいい。その方が日本にはあってるし、平和になるだろう。我が身を知れである。だから日本会議はあまりにも馬鹿すぎるだろう。しかし、先にも言った通り馬鹿にしても、笑いに変えても無駄であろう。冗談が全く通じない頭の硬い奴等でそういうところが1神教そっくりだが、実際に先に説明した通り日本会議は疑似1神教的理念を持ってると言え、怪物退治をするものが怪物になると言うニーチェの命題の通り日本も怪物になるのである。この問題をどうすべきか。問題はアメリカにあるのは明らかである。しかし、前にこの稚拙ブログで書いたが日本人は臆病であり、それが原因で様々な問題が発生すると論じたが、かつて日本軍は余りにも兵隊に無理強いをして日本の兵隊はまさに死ぬもの狂いで戦ったわけであるが、繰り返すが日本兵にはヤマト魂が宿りどこの軍隊よりも勇猛果敢で勇気があると言う幻想をわざわざ作ったのもその逆こそが真であることを示している。実際に大戦中アメリカ軍を一網打尽に出来るチャンスがあったのにも関わらず南雲中将は敵前逃亡をしている。アメリカの復讐が怖かったのだろう。これは謎の反転と呼ばれたが、誰もが真意は知ってて語らないのである。プライドが傷つくからである。捕虜の辱しめは受けずとか言って捕虜になることを禁止したのも、日本人には忠誠心がないことの表れであろう。捕虜の問題は各国が頭を抱える問題であったのに、日本軍は万歳突撃をしてきてアメリカ軍に蜂の巣にされて、日本自ら捕虜の問題を解決してくれるのであった。実に馬鹿な作戦である。実際に中世の時代に日本を訪れたヨーロッパ人が日本人を観察して、日本人には忠誠心がない。直ぐに裏切る奴ばかりだと言っているのであって対戦中も捕虜になった日本兵が頼まれてもいないのに米軍の戦闘機に乗り込み日本軍の基地がどこにあるのか教えている。それでアメリカ兵にあきられていたのだ。こういう民族だから、日本会議の理念はまさに空念仏みたいなものであり、全く日本人を変えるのには役に立たない。ヤマト魂とか大日本帝国とか実体と考えてはならない。本当の日本を取り戻せば日本は復活をすると考えてるかもしれないが、もちろん全ての日本人がそうだとは言わないが、日本人には忠誠心がなく、すぐに裏切る奴等がいる、そういう側面もあることは無視出来ないだろう。そういう負の側面を見て、しっかりと反省し、現実を認めて初めて立派な国になれる。日本を良い方向に変えることにおいては日本会議の思想は全く役に立たないであろう。

日本人は団結力がなく国民の側から社会を変えたことがないと言われているが、それも文化の中心に何もないからである。団結力があるということはナチズム、マルクシズムの病的なまでもの団結力、その迷惑さを考えると手放しで誉められないが、団結力は中心に立脚点を持って初めて生まれる。従って立脚点を持たない日本はなかなか団結して社会を変えることが出来ない。日本人は団結する為には何か中心に理念を置かないと団結できないのである。ここが怖いところである。八紘一宇大東亜共栄圏の理念、そして、日本会議の理念等は中心軸に理念を置いてそこを拠り所にして団結力を持とうとしたのだろう。これがいかにはた迷惑かは歴史が示すところである。日本人は民族として団結出来ないのである。だから団結する為に中心軸に理念を持ってくるのだが、仮に民族として団結出来るのであれば日本は必然的に、反米になり、属国脱却を目指すであろう。しかし、日本人は中心に何もないが故に長いものには巻かれろ、寄らば大樹の影になるのであってこんな民族に団結力を持つことは期待できない。団結する為には自分達を知る以外にない。つまり、日本の文化の中心には何も無く、日本の宗教は無宗教の宗教であり、日本の思想は無思想の思想であり、日本の哲学は無哲学のてつがくだと知る必要がある。そのことを知って自覚して初めて団結出来、アメリカからの属国脱却の夢も見えてくる。日本人が忠誠心がなく直ぐに裏切るのも文化の中心に何もないからである。こんな民族だからこそ、同一民族に対して愛着を持たないのである。日本人が日本人であることに誇りを持ち日本人であることに愛着を感じる為には自分達を知る以外にない。理念に頼ってるようでは駄目であろう。理念とは大概ろくでもないものである。

与党も野党も、右翼も左翼もアホばかりで一体どうしたら日本をよく出来るかは私も明確な答えがあるわけではないが、結局は最終的に全ての問題は人間に還元されるわけで、人間における普遍的要素について理解する以外にないのかも知れない。人間における普遍的法則が分かれば人間の営むこの社会を幸福にするにはどうしたらいいかその解答も見えてくるだろう。左翼も日本会議も問題外である。これは日本人だけの問題ではなく全人類的課題であろう。文化の中心に何もない日本人は何もないからこそ可能性があると言える。そこから、カルト右翼、カルト左翼が出て来て政治的にも馬鹿だから欠点もあると言えるが、欠点を是正すれば可能性は拡がる。何もないと言うことは何者にもなれると言うことであるし、何でも産み出せるし、状況に応じて臨機応変になれる。文化の中心に何もないと言うことは日本の宗教は無宗教の宗教と言うことであると書いたが、無宗教の宗教と言えば仏教である。一切皆空を説く仏教はまさに無宗教の宗教と言う他にない。全宗教の中でも原子仏教はまともな宗教と言えるだろう。そんな宗教が世界三大宗教の1つになったのは1神教徒がこれだけ蔓延る世界では奇跡的かも知れないが、仏教と日本の宗教、無宗教の宗教は可能性がある。無宗教の宗教とは0のことである。0は何も無いことを意味し、同時に数字の1つであることを意味する。従って文化の中心に何もない日本の宗教は無宗教の宗教と言う他にない。0は可能性は無限大である。だから、日本人は自分達の可能性に自覚的になる必要があるだろう。無宗教だとポル・ポトスターリンになるから、ブレーキをかける為に無宗教の宗教と自覚する必要があるだろう。無宗教の宗教には可能性がある。日本人はそのことを知る必要がある。不変(普遍)幻想を持つ1神教に対抗出来るのは無宗教の宗教だけだろう。だから、日本人と仏教に課せられた使命は大きく日本人と仏教徒は世界的使命を持ってると言えるだろう。