狂人日記

ある男の人生記録です

視点死刑 邪魔な視点 何も楽しめなくなる

『楽しいんだ』『別に面白くないよね』『そんなの好きなんだ、レベル低いよね』『◯◯が好きな奴はバカ』『◯◯が理解出来ない奴はバカ』『恥ずかしいからやめたほうがいいよ
』私の心深く植え付けられた観念群である

これ等の観念群が、心の中で視点に変化し、何をやるにしても常に足を引っ張られ何をやるんでも、見るんでも、聴くんでも純粋に、素直に楽しめない。どこか、陰鬱で憂鬱、根暗で暗いキャラクターになってしまった。
いわば2ちゃんで言うところの陰キャになってしまったのである。

彼に反逆できてれば状況はかなりちがったものになったに違いないが私は反逆できず、黙して受ける他になかった。
彼にはどこか勝てないと思い込んでしまったのと敵に回す恐怖から反抗的態度がとれないのであった。

この反抗的態度がとれないのと葛藤がまた関係があると思われるが、言い返せなかった言葉が心の中ををかけめぐり心の中で歪み淀んで意識の泥流に残されて頭の中をぐるぐると駆け回るのであった。

誰かに彼に対する不満を表明して、自分にも言い返すだけの正統性があると証明出来れば少なくとも心の中の反逆出来なかった言葉の淀みは大分少なかったであろう。
しかし、殆ど反逆出来なかった。人間言い返せない不満を心のどこかに留めて措くのは心の健康に決して良くないことなのだ。

いつも陰鬱で、どこか影があり、決して明るくなれないのであった。今は昔に比べてだいぶマシになったが未だに心の中に停留している観念群が、邪魔をする。
これ等の観念群から、解放されたらどれだけ素晴らしいか、いつも思う感慨で彼に悪口を言われておかしくなってから消えることは1日たりともない。

彼が死んでこの世から消えていなくなることをたまに、考えるがそうするととてつもない解放感に包まれるのであった。如何に自分にとって、彼の存在がおもになのかよくわかる。

彼のこれはらの工作は主に私を自分の側に引き留めて置くためのものてまあるが、上辺だけ友人であって、とてもじゃないが。まともな友人関係ではなかった。

人間とは、つくはづく不思議な生き物で関係が破綻しても互いに自己欺瞞しながら関係を続けることは可能なようで、彼とは笑い話で花を咲かせることもあった。
しかし、それも視点を感じながらの笑いであり、心の中で純粋に楽しめていない自分もいるのであった。
知っているようで知らない、知らないようで知っているといった、なんともおかしな関係、脆く関係がいつ崩壊してもおかしくないような危なっかしい関係である

今はパブリックイメージリミテッドを、聴きながら書いているが、好きか嫌いか自信を持って答えることが出来ない。
彼の『そんなの好きなんだ』という視点が邪魔をするのと、これは価値のある音楽だから好きにならなければいけないという脅迫思考が、邪魔をして落ち着いて素直な感情で聴けない。

私はそんな精神状態で25年も生きてきたのあった。この25年間自分の願望と欲望だけに忠実に生きておれば今と違った人生があったかもしれないと思うと失った過去の大きさ、失った25年の事を思うとぞっとする。
25年は余りにも長すぎた。他に嫌な事が重なったこともあって散々な25年であった。
絶望と後悔のうちに人生の幕を閉じる事になるであろうか?

こうして文書化出来てるだけでもまだましだと思われるが・・・・