狂人日記

ある男の人生記録です

視点死刑 人格攻撃とある種の洗脳工作

彼に対する想いが冷めてしまってから、彼は酷く動揺しているようであった。
彼も私と同じくクラスメイトとそんなに上手くいっていなかったようで私との繋がり、関係が一種心の拠り所となっているようであった。

当時の私としては、何故そこまで動揺しているのかわからなかった。なんとも情けない話だか、こちらから関係を切っておきながら人間関係、友情のもつれ等よくあることだ、人生には、裏切り、裏切られなんてめずらしくもない。
わたしとの関係崩壊など長い人生、よくあることの一幕に過ぎない、と思っていた。

しかし、彼の動揺は半端なく半ば放心状態で、ある時一緒に外を歩いていたときなど、目の前のバスに気付かず俺が彼の事を引き止める一幕があった。私が引き止めてなかったら確実にバスに引かれていた。

何故、そこまで動揺しているのであろう。非常に不可解であった。私が彼の事を大事に思っていた以上に彼は私の事を大事に思っていたのであろうか。

それからである、彼の引き止め工作、ある種の洗脳が始まったのは。

まず最初は彼の好きな音楽(主にブルーハーツ)を聞かされたり、彼の好きなテレビドラマや、映画を見せられるのである。
ある時等、私の家に人気アニメ作家の宮崎駿の作品、紅の豚を持ってきて今一緒に見てくれと言う。

私は嫌だと、あとで一人で見たいと断っても彼は絶対にひきさがらなかった。一緒に見てほしいと。

そういえば、こんなこともあった。彼が私の家に遊びに来ていたとき、涙ながらに1+1は、10にも100にもなると訴えていた。
一人で出来ないことでも仲間と協力すれば、何か大きなことも成し遂げられると訴えていたのだろが、こちらの都合は無視であって自分の都合のことしか眼中にない様子であった。
お前にとって+でも俺にとっては+になるとは限らないではないか。
本当に面倒くさい奴だなと思った。これはとんでもない奴を友達にしてしまったなと思った。

私は別に見たくもないし、聴きたくもなかった。しかし、逆らえなかった。彼の人格攻撃に一敗地に間みえてしまったからである。趣味や性格を避難されたのである。
彼には叶わない、敵に回すのは不利である。そう、思い込んでしまった。
これが、間違いの元であった。ちょっとしたことでも、気に入らないことは反論しとくべきだった。
やらなければならないことを怠った為にそのご窮地に陥ることになってしまった。

彼の言うことは絶対で反論の余地はなかった。従わなければならなかった。これが嫌で嫌で堪らなかった。彼の存在は私に取って最早重荷でしかなかった

早く関係を切って他の事をしたり、他の友達と遊びたいという本音があった。しかし、そこで、私は彼の攻撃に耐え兼ねてしまったのか、心理的に自分の中である種の合理化をしてしまう。

彼の紹介する音楽や映画を自分は好きなのだと思い込むようになってしまったのである。

ほんとうは重苦しいのに彼に逆らう恐怖心から自分自身の、本心を裏切って好きでないものを好きと思い込むようになってしまった。

この自己欺瞞、合理化こそが私が病んでしまった、原因の大きなもののひとつであった。

彼との関係は実質壊れてしまっていたが、表面上は友人同士であった。
彼との関係が壊れてしまっているが表面上は友人同士であることと、彼の紹介する作品群を好きだと思い込み付き合っていることとは軸を一にしていた。
これは、同質の現象だと解釈することができる。そういった意味で彼も一種の自己欺瞞に陥っていたのかもしれない。
お互いに関係がぶっ壊れてしまっていること、彼の紹介する作品群が私は別に好きでもないことなど互いに心の中ではどこか気づいて付き合っているような関係であった。