狂人日記

ある男の人生記録です

母親との関係で生まれた自己欺瞞

俺は母親と二人きりで生きてきたと前に書いたと思うが、俺の母親ははっきしいって馬鹿で愛情が薄かった。
そんな母親と二人きりで生きてきたわけであるが、母親の話によると俺がまだ自我に目覚める幼少の頃に母親のことを拒絶したらしい。
どうも俺は母親のことは愛してはいけない、或いは愛する価値がないと本能的にわかってたらしい。

俺の母親は全てが上部で母性愛なるものは感じたことはない。変わり者で子の事を愛しておらず、かなり自分勝手な性格で相手の立場に立って考えることの出来ない人間であった。

そんな人間と二人きりで生きてきたわけである。はっきしいってこれは気狂いである。俺には精神の安定を保証する人生のスペースがなくどうやっても母親の元から逃げるわけにはいかなかった。

生殺与奪の権利を母親に握られており俺が母親のことが嫌いでも母親の側にいる他なかった。俺が精神的に母親のことを見捨てれば俺は完全に一人ぼっちになってしまう。それではまだ幼少期の子供は生きてはいけない。
そこで、恐らく俺は本能的な生存戦略によって母親は自分の事を愛しており自分も母親のことを愛していると思い込むことによって難を逃れようとしたのではないか。
これは一種の自己欺瞞だが幼少期の自分にはどう考えても生き残る為には自己欺瞞に訴える以外になかった。
それで、その自己欺瞞は他人との関係にも反映されるわけであり、他人との関係の中で本当の心の繋がりを実感出来る人間関係を構築出来ないわけである。
母親と一緒にいるといつも言い様のない異様な不安に襲われるのだがそれが他人との関係にずらされて友達といるときでもどこか不安を感じながら付き合っているのであった。

馬鹿な母親だけじゃなくまともな親父でもいてくれればまた違ったのだろうが、無い物ねだりをしてもしょうがない。俺はいつも他の家の子が羨ましくてしかたがなかった。何で俺はあの家の子供じゃないんだと思うのであった。まともな親父がいて親父との関係性の中から安定した自我を築けたならば俺は多分母親との縁を切っていただろう。

自己欺瞞の話に戻るとまず母親は俺の事を心の底では愛しておらず表面的には愛しているように装っており、尚且つ、おれ自身が母親の事を愛しておらず意識の表面では愛しているわけである。そして、母親の欺瞞的自我を吸収して自我構築をしていたわけである。
このような三重、四重の自己の偽りこそが俺の全ての不幸の源泉であった。
そのことに20代後半の頃に気付いたわけであるが気付いたからといってそれで万事解決と言うわけにはいかず、余計な不幸を背負う訳に至ったわけである。
どうも俺の母親も幼少期に両親の愛情に餓えてたようで子供の頃に他の兄弟と差別されて親と接しられていた為に自分は捨て子ではないかと疑問に思うことがあったという。それで俺の母親も幼少期に生存戦略として自分は親に愛されてる、兄弟間の差別はなく自分が間違っているから親に叱られるんだ、親は決して自分のことを愛してないわけではないと思い込むことによって難を逃れようとしたのではないか。
俺の母親が高校時代に全寮制の高校に進学した際に中々友達が出来ずに寂しいと母親に手紙を書いているのである。俺の母親の母親つまり祖母は俺の母親のことは愛していなかったのはほぼ確実だと思われるが、娘から手紙がきた際に励ましの手紙を書き送っているわけである。俺の祖母も自分を誤魔化していたと思われるが、表面的には愛しているように装い実際は愛してないこれは分裂病の素地を作るようなものである。
俺の母親は自分を偽っていたと書いたが自分が親に愛されていなかったこと、そして祖母の自己欺瞞的な自我を吸収したと思われるが、俺の自己欺瞞は三世代に渡って続く殆ど救いようのないレベルの自己欺瞞なのである。

これは辛い辛すぎる。俺は存在そのものに根差している自我を構築出来なかったわけである。全てが上部で欺瞞的で、そんな自我でしか誰とも接していなかった為に本当の意味での他人との繋がりを感じる関係を築けなかったのである。

随分前の記事に俺は孤立恐怖症患者と書いたがそれもこれも全てが母親との関係で築かれた自我のせいなわけである。

これは克服するのは非常に難しい問題である。どうやったら克服できるのであろうか。克服は無理な問題なのかも知れない。それならせめて現状を受け入れて生きていく他にないが、生きるのは辛いものである。俺以上に不幸な人間なんぞどこにもいないように思える。いるかも知れないが俺も相当なものであろう。

人生は苦労の連続である。すくなくとも私にとっては。今はとある事情で1人で生きていることを強いられているが毎日が退屈で苦痛でつまらん人生である。

死ぬまでこのような最悪の状態で生きるのは御免である。完全なる克服は無理にしてもちょっとでも現状を受け入れて変えていけるように努力すべきであろうか?それ以外にはないように思える。現実は変わらない。結局のところ全てが自分を中心に回ることには違いなく全て自分次第である。どんな人間も多かれ少なかれ不安を抱えて生きているだろうが俺も例外なくで、特に強い不安を抱えて生きているように思える。

幸福は遠く辛い毎日だがそんな現状を受け入れて生きていく他にないのだろう。