狂人日記

ある男の人生記録です

母親の人格構造

俺の母親は変わり者であった。どう変わっていたのか説明は難しいのだがなるだけ分かりやすく説明してみよう。

基本的に性格は明るく楽しい事をするのが好きな人だったが俺に対する愛情は大してなかった。母親から愛情らしきものを感じたことは1度もない。しかし、表面的には中の良い親子を演じており端の者には母親が愛情のない親には見えなかったであろう。

全てが上部で表面的であったのだが、子供の頃はそれが分からなかった。どこかいつも不安で孤独感があるのであった。それは母親に愛情がなかったこと、関係が上部だけであることと無関係ではないが俺は最初は母親に愛情があり母親と心の繋がりがあると思っていた。

母親は自分本意で他人の気持ちがわからない人であった。子供の頃から今まで自分の気持ちをわかってもらったと思ったことは1度もない。とにかく無神経で鈍感ではっきしいって頭が悪かった。人が今どういう事を考えてるとか、どういう思いに耽ってるかなどはその態度や表情から察することは出来るが俺の母親は絶望的にそれが出来ないのである。はっきしいって病的レベルで他人の気持ちを察することが出来ないのであった。全てにおいて自己完結しており、自分の世界に閉じ籠っているかのようであった。それで、自閉症というわけではなく内向的でもなくどちらかというと外向的な人間であった。なんとも形容し難い人間性であり、内向的なのか外向的なのかわからないのであった。

俺は母親から母性的なものも感じたことが1度もない。人間子供が出来れば自然と母性や父性が生じるわけではなく、子に愛情がない場合母性はうまれないようである。それで俺は母親に自分は愛されてると思い込んでいたわけである。実際に愛されてないのに愛されていると思い込んでいたことがほぼ全ての混乱の始まりだが、子供の頃にはそのことに気付けるわけがないのであった。しかもおれ自身が母親のことを愛してると思い込んでいたわけであった。実際には俺は母親のことを毛嫌いしていたと思われるが、好きと思い込んでいた。それには事情があり前にも説明したが、俺は母親と二人きりで生きていたので母親を失えば子供の俺は生きていかれなくなるので仕方なく母親を愛していると思い込むことによって難を逃れようとしたのであった。

俺は母親の存在が恥ずかしくて仕方がなかった。祭りの時にビール飲み競争があって俺の母親がその競争に参加することになったのだが俺はそれが恥ずかしくて仕方がなかった。それから高校時代に野球部の合宿に子供たちの親が夕食を作ることになったのだが俺は母親の存在が恥ずかしくて仕方がなかったので、絶対に来ないでくれとお願いすることがあった。人前に晒すのが恥ずかしくて仕方がないのである。結局母親は俺の願いを無視して夕食作りに参加しに来たのであった。
もうそれが恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がないのであった。絶対に人前に晒したくなく他人の家の母親が羨ましくて仕方がないのであった。

俺の母親がもうちょっと他人の気持ちをわかる人だったら俺の人生は違ったものになったであろう。気持ちが理解出来ず全てが上部であった。生き地獄である。

どんな人間も他人との繋がりを保証する立脚点をもっているわけである。俺の母親はそれを持っていないようであった。そしてそんな母親の自我を俺は吸収したわけである。母親の上部だけの自我を。つまり俺は母親の上部だけの自我を吸収し、さらに母親に愛されておらず更に俺自身が母親のことを愛していないのに俺は母親に好かれてると思い込みおれ自身が母親のことを愛してると思い込んでいる非常に危うい自我を築いてしまったわけである。

俺は臆病で傷つきやすく、人に強く非難されると言い返せない弱い自我をもってしまったわけである。

そのお陰で散々苦労することになるわけであるがその苦労話は後程。