狂人日記

ある男の人生記録です

したいことが何もできない青春時代だった

俺は個人的にある重大な問題を抱えていてそのことについてはおいおい語っていこうかと思ってるが、したいことが何も出来ない青春時代を過ごしてしまった。
今この歳になって過去を振り替えるとどうしようもない後悔の念が呼び起こされ頭の中が絶望で一杯になるが、過ぎ去った日はどうすることも出来ず諦めるしかない為泣きそうになる。

なんで行動に移さなかったのかよく考えるが原因が複雑に絡みあっていて、直線的因果関係的には説明がつかずその原因が何層にも重なりあっている。

第一の原因は親だが、俺が19で仕事を辞めて、辞めた次の日に会社から帰ってきた親に「面接行ってきた?」と言われてしまった。
この発言を受けて俺は働く気が全くおきなくなってしまった。
俺としてみれば仕事を辞めて一週間くらい遊んだら気軽に職探しをしようと思っていたし、10代20代は自由で好きな時に仕事を始めて好きな時に仕事を辞める事が出来ると思っておりその自由を若い頃は満喫し本格的な職探しは30になってからで定職に就くのは30過ぎてからでも遅くないと思っていた。
それなのに俺の親は俺が仕事を辞めた次の日に「面接行ってきた?」である。仕事を辞めた次の日にどうやって面接に行けばいいのか。仕事を選ぶのにいくらか時間がかかるだろう。それなのに仕事を辞めた次の日に「面接行ってきた?」である。俺には仕事を選ぶ自由もないのか?親はそこまでして俺に働いてもらいたかったのか?例えば「一週間くらい遊んだら仕事探すんだよ」ぐらいのことは言えなかったのであろうか。
これではやる気が起きない。俺の人生は親の所有物で親を喜ばすだけの為に存在しているみたいで、何もやる気が起きなくなってしまったのである。
馬鹿みたいな話だと誰だって思うかも知れないがこっちにしてみたら重大な問題である。
俺は親1人子1人の二人暮らしをずっと続けてきたのだが(途中から病気で倒れて1人で生きていけなくなった祖母を引き取って三人暮らしになる。祖母は俺が高2の頃に病気で亡くなった) たった1人の肉親に信用もされておらず、しかも親の都合のよい人形みたいで何もかも嫌になったのである。その日から俺はニートになってしまった。

俺の本音は自分で働いて金を稼ぎ遊びたいであったがそれが不可能になってしまった。それなら親との縁を切り1人暮らしすればいいではないかという意見もあるだろうが、そういう問題ではないのである。
全てが親の都合のいいように事が運ぶのが嫌なのである。働けばそれは親の都合によく、親元を離れて独り暮らしをしても、それは俺は働いているわけであるし、家に金を入れなくても俺の事を養う必要がないためこれも親の都合に良いわけである。
俺はにっちもさっちもいかなくなってしまった。働きたくても働けない状態である。
俺がニートになり親が死ぬまでの6、7年間は激動の日々であった。
俺は働きたいから親と話し合いをつけてすっきりした状態で職につきたかったのだが、親には全くその事が伝わらなかったようである。
何度も何度も話し合いを重ねた。だけど親にはこちらの真意が全く伝わらない。
ムカついてぶん殴ることも度々あった。
親の全身は青アザだらけになり、顔もパンパンに膨れあがる始末。
親の勤めてる会社の社員が心配して我が家に駆け付けてきたこともあった。
こちらとしては働きたいだけなのである。それだけなのである。しかし、その思いが親には中々伝わらない。
それならやはり親と縁を切り働けばいいじゃんという意見もやはりあるだろうが、それはやはり親にとって都合がいい。自分の元を離れるのはもう殴られる心配もないし俺が縁を切っても向こうは痛くも痒くもないであろう。それが気に入らない。俺は働きたいだけなのである。それが伝わらない。それならそのことを親に伝えればいいじゃんという意見ももちろんあるだろうが、自分で気付かないと意味がないと思っていたので自分の口からそのことを語ることはなかった。
そのことを親に伝えればまた違ったであろうか。いや、だがしかし、それは親にとって都合がいい。親のことを喜ばす結果になってしまう。
俺は20代前半の頃から毎日焦っていた。無駄に月日が過ぎ去っていく。時間はどんどん流れていく。
俺は何もできない。親には真意が全く伝わらない。
どうしたらいいのか。俺は何をすべきなのか、全くわからないまま時だけが過ぎていく。

前に親との葛藤に関することについて書いたが、俺の親は(母親)愛情が薄かった。しかも変わり者で、かなり、歪んだ自我をもっていた。そしてその自我を俺は吸収してしまったのである。親に愛されておらずさらに歪んだ自我をもってしまったものだから、こっちは大変である。それで親の都合のいいように生きるのは俺の存在価値が無に転落してしまう。その恐怖に打ち勝つことが出来なかった。「面接行ってきた?」この一言で俺の人生は終わってしまった。
したいことが何も出来ない10代20代であった。無駄に過ごしまくった若い日々が甦る。やはり行動に移しておくべきだったか、しかし、それは無理であった。親が俺に幾ばくかの自由を与えていれば俺の人生はまた違ったものになったであろう。親もこんな若くして死ぬこともなかっであろう。

過去は過去でもう取り返しが付かない。過ぎ去った日々は々どうやっても取り戻せない。

俺の人生はこの先楽しいこともなく後悔と悔恨の日々だけで終わるだろうか。それはわからない。しかしこれだけははっきりしている。多かれ少なかれ絶望を引き受けて生きていくしかないってことは。

未来の人生は少ない。こんなしょうもない目にあうなら産まれてくるんじゃかったと思う時もある。もう全てを諦める以外にないのか。人生は辛いことの連続である。2500年前に仏陀は人生は苦しみであると結論をだしていて、それは正しいのだと思う。一切皆苦である。
それはわかっているがどうしても周りの人間と自分を比較して自分の方が不幸だと嘆いてしまう。親との関係の中で生まれた葛藤を抱えていてもやはり、行動に移しておくべきだったか、だがやはり無理だった。
仏陀の教えは正しいと思うし仏教は好きなんだが自分が仏陀的境地に到達出来るとも思えないし、この先の自分の人生は未来の不安と過去の後悔に挟まれて悶々とした日々を過ごすだけであろうか。