狂人日記

ある男の人生記録です

今にして思うと可愛そうな母親であった

俺の母親は52歳で亡くなったんだけど亡くなるまでが壮絶であった。
俺に毎日殴る蹴るの暴行を受けていたのである。
俺が暴力に訴えたのはいくつか理由がある。まずその話をするために時を遡る必要がある。時を遡ること7年前。俺が仕事を止めた時のことである。

俺は板金会社に努めていたのだが仕事が合わないのと人間関係が嫌になり僅か4ヶ月で会社を退職してしまった。
俺の母親はそのことに非常に強いショックを受けていた。自分だけ働くのが馬鹿らしくなったのかその日は仕事を休んだ。俺はそのことに驚いた。俺が仕事を止めたのがそんなにショッキングなのか、ちょっと信じられない。
俺としてみたら1週間くらい遊んだら仕事を探す気でいた。他の家庭の人にしてみても同じだろう。何も職探しにそこまで必死になる必要はない。職の方から逃げることはないのだから。まだ10代だし何も職探しをそんなに急ぐことはない。もっと気軽に構えてもよい。俺はそう思ってた。

それで次の日である。仕事から帰ってきた母親の第一声が面接に言ってきたである。職探しをしてきたなら分かるが面接に言ってきたである。信じられない。何故そこまで急かすのか。自分の子供にもっと余裕を持たせても良いだろう。俺は母親の面接に言ってきたの一言で何もかもやる気が失せてしまった。何故そこまでして働いてもらいたいのか理解出来ない。昨日止めて次の日どうやって面接に行けるというのか、不可能である。俺には職探しをする自由すらもないのか。これではあまりすぎないか?
それでその日から働くのが嫌になった俺はニートになってしまった。働くのが怖いわけでもないし、嫌でもない。母親の意に沿うのが嫌なのである。働いて自分で金を稼いでた頃は充実していた。自分で働いて得た金で好きなものを買うことが出来る。非常に充実した楽しい日々であった。
だから、俺は仕事を止めてもニートなんかになるきは更々なく働く気満々であった。それが母親の一言「面接に言ってきた」ですべてが終わってしまった。

それからつまらぬ日々が始まる。家にいるときはテレビゲームをするかテレビを見るだけ。体が鈍ってしょうがないからランニングも始めた。無職になってまだ初期の頃はまだ心に余裕があった。何れなんとかなるだろうと思っていた。しかし無職期間が1年を過ぎた辺りから焦ってきた。ちょうどフランスワールドカップがあった年である。俺の本音、「働きたい」という気持ちが母親に伝わるだろうと思ってた時に母親はそんな俺に対して何て言ったのかというと「もう十分あそんだでしょ」である。俺の本音が全く伝わっておらず母親には俺が遊んでいるように見えたらしい。どれだけ見る目がなく人の気持ちのわからない人何だろうと思った。こりゃ駄目だ。益々働く気が沸いてこない。どんだけ馬鹿なんだろう。まさかここまで馬鹿だとは思っていなかった。俺は職から更に離れることになる。

毎日が退屈でつまらなく無職という負い目があり、毎日焦っていた。早く働かねば。その為には母親に俺の働きたいという本音を理解してもらう必要がある。それまでは働く気が起きない。しかし、俺の母親は俺の立場に立って考えることはなかったようである。無職になって3年位たったあたりから何度も話し合いをすることになる。俺がどれだけ焦ってるのか理解してもらいたい。信じて欲しい、俺がどれだけ働きたいのか、そしてどれだけ焦ってるのかを。しかし、何度話し合っても母親に俺の真意が伝わらない。働いて金を稼ぐ喜びを知っているから、働きたいのである。何度も何度も話し合いを重ねた。しかし、こちらの真意が伝わることはなかった。俺のムカつきは頂点に達し遂に暴力を振るうことになる。
話し合いの度に暴力を振るっていた。全身青アザだらけになり顔もパンパンに膨れあがるくらいに暴力を振るっていた。
いつか、こっちの真意が伝わり理解してくれるだろうという希望は悉く潰された。俺の母親は議論になると直ぐに黙りこむのである。それが最高に腹が立つわけで話し合いにならず俺は絶望感に恐われた。この人間に何を訴えても無駄なのだ。諦めるしかないのか。俺はただ働きたいだけなのに何故こんか簡単なことが分からないのか。常人を逸してるとしか思えない。俺の気持ちを了解してくれたら直ぐに働くのに。俺は働いていた頃は家に金を入れていたのである。それなら働く意志があるに決まっているではないか。なんでそんな単純なことが分からないのか。ただの馬鹿としか思えない。働く意志がないのであれば家に金を入れることもないだろう。

それで俺の母親は俺の常人を逸した暴力に耐えかねて家を出て行ってしまった。友達の家に行って世話になったのである。それが1年くらい続いた。生活費は俺の銀行口座に振り込まれた。馬鹿な女である。俺の母親は俺を働かせるにはどうすれば良いのかを考えれば良かったのである。簡単なことである。働かない俺の側にも原因があったとも思うがはっきし言って自業自得としか思えない。1年立って家に戻ってきた時には俺も流石に暴力を自重するようになっていた。

働かない詳しい理由は前にも書いたが働いたら俺は無のどん底に落ち込んでしまう。母親に愛情はなく自分の幸福の為だけに俺に働いて貰いたがってたのは明らかであるからである。縁を切るしかないが、しかしこちらが縁を切っても向こうは痛くも痒くもないであろう。いや、むしろ余計な重荷がいなくなって都合がいいであろう。それでは縁を切った俺が余りにも惨め過ぎると思う。

今でもあの頃に行動に移していれば金も手にはいって彼女も出来てたかもしれない。今更後悔をしても、もう遅い。俺は彼女いない歴年齢でこの先も彼女が出来る可能性はない。母親さえもっとまともな人間だったらこんな糞みたいな人生を歩むことはなかったであろう。しかし、よく考えて見ると確かに俺の母親は可哀想なひとであった。母親1人で子供を育てるのは大変だっただろう。俺には無理である。よく1人でここまで育てあげたと思う。ただ俺の母親は他人の気持ちのわからない人であり、それが命取りであった。もっと他人の気持ちがわかる人だったらここまでお互いに苦労することはなかったろうに。全くもってやってられない。俺は今は友達もおらず、勿論彼女もおらず一人ぼっちである。全くもって最低最悪の人生である。母親のあの一言「面接に行ってきた」さえなければここまで苦労することもなかったろうに。全く馬鹿げたことで人生が終わってしまった。俺に子供が出来て父親になれば母親の気持ちもわかるのだろうか?それはその時になってみないとわからない。

母親も苦労だらけの人生で楽しそうにしてる所をそんなに見たことない。晩年は最悪過ぎたであろう。
思えば可哀想な人間であった。合掌