狂人日記

ある男の人生記録です

はてなブログの今週のお題が「お母さん、ありがとう」なので母親のことについて書いてみた

母親から愛情は貰ったことはないと書いたがそれだけならまだよかった。私の母親は変な自我を築いていた。母1人子1人の二人暮らしだったから私は母親の自我を模倣する以外になかったのである。これが悲劇であった。愛情がないだけならそんなに問題はない。母親に対する反抗的態度を立脚点にし自我構築をすればいいからである。しかし、私の場合親の変な自我を吸収する以外になく自我構築が上手く出来なかったのである。

どんな親でもパーフェクトな親はこの世に存在せず、子を愛せない親はいるしたとえ愛情があったとしても親だって人の子、常に愛情をもって接するわけにはいかず子供がストレスの原因になることもあるだろう。それで子供につい八つ当たりをしてしまう親もいるし、親自身が変な自我を築いており例え愛情に恵まれた環境で育っても変な自我を築いてしまったが為に学校で虐めにあうこともあるだろう。

私の場合は最悪で変な自我を築いた愛情のない母親に育てられたのである。しかも二人暮らしであった。それが私にとって他の人間と比較して引け目に感じるのであった。私は常に愛情に飢えていてさらに変わった自我を築いてしまったのである。愛情飢餓は辛いものであった。母親と二人暮らしなのに唯一の肉親から愛情を得られないのである。今も変わらずだが常に不安で孤独感があり何かに飢えているのである。

昔から友達は少なかった。かなり中が良くなった友達が2、3人いたが、友達が沢山出来るということはなかった。 友達との楽しい想い出もあるが嫌な想い出もある。ある子供達の集団に腫れ物でも扱うかのように邪険に扱われたのである。虐めとはちょっと違うからそんなに辛いというものではなかったが気分の良いものではなかった。

子供の頃から何となく自分は人と違う、どこか変わったところがあると気付いているのある。明確にここがおかしいと気付いてるわけではなかったが何となく自分は人と違うなと感じてるのであった。確かに子供の頃から変わり者扱いされることがあったと思う。それも愛情飢餓からくる精神障害と母親の変な自我を吸収した為であった。

私には自我の基盤を支えるものが何もなかった。非常に脆弱で弱い自我をもってしまったのである。それは非常に辛いものであった。人と違うという疎外感も合わせて常に孤独感があるのであった。私の精神的混乱の全ては母親の関係の中でできたものである。
前にも説明した通り私は孤立恐怖症患者である。誰とも繋がりを持ててない自分を抱えているのである。それも母親との関係から生まれた病以外の何者でもない。
誰も自分を受け入れてくれないという疎外感これが全てである。病気は辛いものである。克服出来るかどうかわからないが私の病の全ては母親との関係性の中から生まれたので、これ以上ないくらいの混乱と苦痛と試練をどうも有り難うと言いたい。本当に有り難う。お陰で人生がこの上なく苦痛に満ち溢れたものになりました。今は亡くなっていないが究極クラスの試練と苦痛を残してあの世へ旅立っていきやがって有り難う、プラスになるものはほとんど残さずマイナスになることばかり残して本当に有り難うございましたと言いたい。