狂人日記

ある男の人生記録です

視点死刑 心の中心に居座られた

ありとあらゆる観念を植え付けられた話しはしたがその観念が私の心の中心に居座わってしまった。
そうすると今まで自分にとって都合の良いというかしっくりくる観念を元に生きてたのが他人の観念が横から入ってきて私の足を引っ張るようになってしまった。そして、自分の好きな物や好きな事を内面化しようとすると横から入ってきた観念が弾き出すのであった。何も内面化できない。これは全てのことに関して邪魔するのであった。例えば何かを覚えようとする時も邪魔するのであった。それで物覚えが酷く悪くなりパソコンは打てないし車の運転も出来ない人間になってしまった。(車の免許は取得したが)で、その植え付けられた観念は消そうとしても消えない。いや消そうとすればするほど心にまとわりついてくるのであった。これは非常に厄介な観念であった。何も出来ない、何も楽しめないのであった。
私は窮地に立たされた。仕事もろくに出来ない人間になるし例えばテレビを見て楽しいと感じても素直に楽しめない。音楽を聴いても、本を読んでも楽しめない。私は植え付けられた観念に苦慮した。
辛かった。本当に辛かった。今でも観念に苦しめられて辛い。いつまでこの苦しみは続くのか。全くやってられない。私はこの植え付けられた観念に20年以上苦しめられたきたわけである。

彼に観念を植え付ける意図があったかどうかだが私はあったと思う。ありとあらゆる観念を植え付けて私を遠隔操作しようとしたのではないか。彼は私の目には自分の都合のことしか考えているようにしか見えなかった。前にも語ったが彼は自分の趣味とかを私にしつこいくらい奨めてくるのであった。「何々が理解出来ない奴は馬鹿」と言って私に奨めてくるのであった。私には有り難迷惑な話で彼の趣味などどうでもよかった。自分の趣味に時間を割きたかった。しかし、彼は私の人格改造を目指してたとか思えずありとあらゆる観念を植え付けてくるは、趣味を押し付けてくるはで私は窒息寸前であった。そして観念が何をするんでも邪魔するので鬱陶しくてしょうがないのであった。未だに私の心の中心に彼が植え付けた観念が居座っている。

彼が植え付けた観念は
・俺の事を尊敬しろ、崇拝しろ
・俺が認めたものだけが正しくそれ以外の物は身に付けてはならない
・俺の事を非難してはならない、他人に告げ口をしてはならない
・俺の都合に付き合い何事も優先すべきである
等である。

更にこの植え付けられた観念が視点に変質して私を監視するのであった。まさに視点刑罰である。彼は確実に私との関係を繋ぎ止めておく為に観念を植え付けたのは確実だとおもう。自分の目が届かない場所で自分の都合の悪いように動くのを静止する為に。

彼は私に冷たい態度をとられてから焦ってるようであった。酷く傷つき落ち込んでいるようであった。私には何故そこまで焦ってるのか謎であった。そして、彼は涙ながらに友情を復活しようと四苦八苦し始めるのである。それはまるでいじましい努力であった。
それが私にとっては重荷でしかなかった。彼は私の趣味を否定して自分の趣味を押し付けてくるし、態度が悪くまるでわがままな悪ガキのようであった。

とにかく私の心の中心に居座ってしまった観念は消すことは不可能である。そうかと言って何も絶望する必要はない。観念がどういう過程、どういう理由で植え付けられたのかを表面化することによって自分の支配下に置くことが出来る。難しい事ではあるがやるしかない。それで大して幸福になれなかったとしても。