狂人日記

ある男の人生記録です

辛い人生だ

私は神経症もちである。毎日が辛く苦痛である。神経症になったのはもちろん親の影響だが、親がもうちょっと人の気持ちの分かる人だったら私は神経症にならず済んだであろう。
重度の精神病者なら例えば分裂病者なら病は重いのだろうが精神的な苦痛はないのではないか。重度の精神病者になる一歩手前の神経症の段階が一番精神的には辛いのだと思う。胸の中心、横隔膜がきゅっきゅっと締め付けられるような苦しみである。不安と孤独感が入り交じったような苦痛であるがこの苦しみに長いこと苦しめられてきた。救いは何処にもない。一生この苦しみと共に生きるのだろう。

私の母親は変わり者で愛情が薄かった。そんな母親と二人きりで生きてきたのだから病的な自我を形成するに決まっているのである。私の母親は他人の気持ちが絶望的にわからない人で自分の気持ちを理解されたと思ったことは1度もない。自分勝手で自己内世界で全てが完結しているような人であった。
どんな人間でも例えば他人の表情からその人間が苦しんでいるのかとか、悲しんでいるのとか分かることである。しかし、私の母親はそれが全くわからないのである。だから私は母親と一緒にいるのが苦痛でしかなかった。母親と一緒にいると言い様のない不安に襲われるのであった。私の母親がちょっとでも人の気持ちの分かる人だったら私はここまで苦しむことはなかったであろう。私の母親は子供の頃自分は捨て子なんじゃないかと疑うくらい他の兄弟と差別されて育ったから自分の気持ちを理解されたことは一度もなかったのであろう。それで他人の気持ちがわからない人間に育ったのであろう。私の母親は色々と可哀想な人間なのである。両親の愛情に餓えてたのは確実でどうも他の兄弟と違って自分だけ差別されて育ったようなのである。子供の頃に両親に愛されずに育った人間は自分が子を授かると子のことを愛せなくなるようである。私は母親から愛情なるものを感じたことは1度もない。強烈な愛情飢餓状態で生きてきたのであった。

毎日が辛く苦しい。精神的に安定することは殆どない。不安は常時である。なんで俺だけこんな辛い目にあわなきゃいけないのかとしょっちゅう思う。
解決策はどこにもない。産まれてくるんじゃなかったとよく思う。愛情たっぷりと注がれて育ったガキが羨ましい。何で俺はこんな家に生まれちまったのか。そんなこと嘆いてもしょうがない。生まれは選べないのだから。父親の精子が卵巣に届いた時点で私が生まれることは決定づけられていた。悲劇なんてものじゃない。私の父親は家族持ちだった。つまり私は不倫の末に生まれた男なのである。そして母親は頭が悪く愛情がなかった。私の人生が困難に道溢れたものになるのは運命づけられていたのである。この身を焦がすような地獄の苦しみから逃れることは出来るのだろうか。私は出来ないような気がする。恐らく一生ものの苦しみであろう。せめて父親がいれば母親が変わり者でも父親の自我を吸収して安定した自我を築くことが出来たであろう。しかし、私には父親はいなく、年に2、3回会う程度であった。父親は母親と違って比較的間ともな自我を築いていたと思う。

母親1人だったので家は貧しかった八畳ひと間の狭いアパートに住んでいた。風呂場はなかった。家は貧しく愛情に餓えていて私は劣等感と嫉妬心の塊であった。友達の数も少なかった。いることはいたが2、3人程度である。それなりに楽しかった思い出もあるがほとんど1人で遊んでたような気がする。
何とも寂しい人生だ。辛い。辛すぎる。胸が締め付けられて苦しい。こんなしょうもない人生でも現実を受け入れて生きていくほかにないであろう。ああ、辛い・・・産まれてくるんじゃなかったとしか思えない。ああ、毎日が辛い。今日も深いため息が漏れる。ああ、辛い。