狂人日記

ある男の人生記録です

孤立恐怖症と回避性人格障害

俺は一種の孤立恐怖症患者であった。

孤立恐怖症とはいかなる病気か。

誰とも交わることのはない自分、誰とも接点を持たない自分を抱えている病である。

この病は勿論母親との関係性で作られた病だが、俺は母一人子一人の二人暮らしだったから、母親の生き写し見たいなところがあるので、ひょっとすると母親も似たような病を抱えていたのかもしれない。

母親は気が小さく何かされてもやり返せない性格だったし、俺の祖母も母親と似たようにやり返せない性格で、昔祖母と口論となったとき此方はそれほど酷いことは言ってないのに後で泣きながら母親に俺の愚痴をこぼしていた。(祖母とは祖母が病気で倒れ一人で生きていけなくなってしまったときに、確か自分が小学校3、4年生の時に母親が引き取り途中から、祖母を含めた3人暮らしになる)

気の小ささと孤立恐怖症にどれ程関連性があるかわからないが、自分もやられたらやり返せない性格で
、何故やり返せないのか自己分析した結果孤立恐怖症にたどり着いたのでひょっとするとこの症状は祖母の代から代々受け継がれた症状かもしれない。

誰とも交わることのはない自分、誰とも接点を持たない自分を抱えて生きるのは辛いものだった。前の記事に書いたが肉体的、精神的危機に陥ると誰とも交わることのはない自分が顔を出すのであった。
これは地獄の苦痛であった。この苦痛は味わった人間にしかわかるまい。

人間の自我は他者との関係性で作られる、最初に出会う他者とは両親だが、両親の自我から多くの物を受け取り取り入れながら、徐々に自我形成していく。
両親がまともならまず間違いなくまともな自我をもった子供が出来上がるが両親がおかしな自我を持っている場合はおかしな自我をもった子供が出来上がる。
しかしおかしな自我を持ってしまったからといっても病的な人間が出来上がるわけではない。周りからは変わり者扱いされるがそれで動揺することなく平然と生きていける人間は世の中腐るほどいる。

問題なのはちょっとしたことでも動揺してしまう、脆弱な自我を持ってしまった場合である。
他の弱い人間は何故弱いのか知らないが、自分の場合根底にあるのは孤立恐怖症であった。

自分の色々な症状をネットで調べてみると一番当てはまる病が回避性人格障害であった。自分以外にも同じような症状で苦しんでいる人間がいるとわかってホッとしたが、他の回避性人格障害で苦しんでいる人間が何が原因で病気になったか知らないが、自分の場合根底にあるのは孤立恐怖症であった。

人間いくら変な自我、変わった自我を持っていたとしても他者との繋がりを保証する立脚点があれば生きていけるものである。

しかし俺の場合は心の中心にあるのは誰とも繋がりを持たない自分であった。俺が今まで味わってきた苦しみの9割が誰とも繋がりを持たない自分が引き起こすものであった。

もう一度繰り返すとこの自分は母親との関係性で作られた自分である。母親自体がある種の孤立恐怖症を持っていたとも思われるし、俺はそんな母親に愛されずにに育ってしまったのである。そして俺は母親に愛されて育てられていると思い込んでいた。

要するに母親の歪んだ自我を吸収し、そんな母親に愛されておらず、さらに母親に愛されてると思い込んでいるような二重、三重にも歪んだ自我構造であった。

これでは救いようもない。
どれほど自我が歪んでいようと、他者との繋がりを保障する立脚点(物を見る基準、判断する基準、趣味等好きな物を見る基準等)があればなんとかなるものである。

俺の場合それが弱い、実際に流され安く自分の基準で物を判断できないのであった。なにかを自分の基準で判断した場合は、友だちや知り合いに馬鹿にされないか強い不安に襲われるのであった。
流石に好きなゲームやマンガ等は自分の基準で判断出来るのだが(それでも流されやすい)、それ以外の時事関係等は非常に流され安く弱い。自分の考えがコロコロ変わるのであった。

いわゆる軟派な性格であった。