狂人日記

ある男の人生記録です

人生の意味

毎日が辛く苦しい。
辛く苦しいだけの人生に一体何の意味があるというのか。
どんな人生にも楽しむ権利や友達と遊んだり、彼女を作る権利がありそれをみんな享受しているはずなのに、俺の人生はそれとは無縁の孤独で寂しい人生である。
なんてことであろう。
大概の人間は友達がいて、楽しい思い出を作り彼女がいてデートを楽しんでいる。

俺にはそれを享受する権利すら与えられていないというのか

俺みたいに奈落の底でもがき苦しむ人間が世の中にはごまんといるはずだ。
そいつらは日々何を思い、どういう人生を歩んでいるのだろうか?
未来の希望を信じ努力している者や、諦めの境地に達し地味に渋々とした人生を生きている者、或いはもう、人生に見切りをつけてこの世からおさらばした人間もいるのかも知れない。

そんなことは知らないが、俺はどう考えても幸福ではなく不幸な人生を歩んでいるし、この先も不幸であろう。

人は言う、人生には意味はないと。
しかしこれはどうにも府に落ちなない。
人生に意味はないという認識がそいつの人生に、人生に意味はないという意味を与えてしまうのだから、それがそいつにとっての人生の意味になるのであろう。
無意味の意味である。
意味のない人生などないのだ。どういった人生を歩もうが必ず意味が派生してしまう。
それならば誰もが自分の人生の意味について考えるべきであろう。
そこは、ヴィクトール・フランクル的に人生の側が自分に何を求めているのか考えるべきなのかもしれない。

今まで味わってきた苦しみも必ず何がしかの意味を帯び人の為に役にたつ日がやってくる。

俺の場合劣悪な家庭環境で育ち、まともな教育も受けなかったし親の愛情は薄く、勉強も出来なかったし友達もほとんど出来ず、彼女すら出来たことがない。

こんな糞を極めた人生にも意味があるというのか。
人生の側が俺に一体何を求めていると言うのか。
こんな糞みたいな人生でも、誰かの役にたてる日が来るのであろうか。
俺より不幸な人間は何処にもいないように思え、最底辺中の最底辺であるという感慨をもってしまう。

他人が俺を見下して優越感に浸るのに役立つだけの人生のような気がしてくるのだがそれでは余りにも虚しすぎる。

リアルでもネットの世界でも馴染めず、うまくやっていけない。
どこに行っても糞みたいな扱いを受け、まるで腫れ物を見るような目で見られる。
こんな、人生になんの意味があるというのだろうか。
強い葛藤に襲われる。どんな人生にも意味があり、どんな苦しみにも意味があると言う場合に自分の人生の意味を了解し、他人に何かを与える側に回ったとしても、必ずしも自分が幸福になれるわけではない。
相変わらず不幸なままかもしれない。しかし、どんな人生にも必ず、意味が派生してしまうのだから、人生の意味について考えないわけにはいかない。

人生の意味とはある意味残酷なものである。
ヴィクトール・フランクル風に言うと、人生の側が常に自分に人生の答えを問いかけてくる。そして此方は、人生の側からの問い掛けに常に答え続けなければならない。
人それぞれだが、私のように地獄の人生、拷問のような人生を歩んでいる者にとってみたらそれは、非常に厳しい問いである。

こんな糞みたいな人生にも意味があるというのか。一体誰の役にたつのであろう。
ほとんどの人間に拒絶され、自分自身でも他人を拒絶し、自分自身で自分自身をも拒絶してしまう。
全くもって目も当てられないしみったれた糞みたいな人生である。

世の中には俺よりも不幸な人間もいてそいつらの為に生きるべきであろうか。どうせ幸せになれないのだから、自分の人生を他人に捧げ、役にたたせるのも悪くないのかもしれない。

例え、自分が幸福になれないとしても。