狂人日記

ある男の人生記録です

視点死刑 コピー品としての私 同化政策

中学も終わるとコピー品としての高校3年間が始まる。コピー品といっても完璧に彼と同一化していたわけではなく、本来の自分も混ざっているコピーであって、グラデーションのようなものであった。

本来の明るいキャラクターと彼のお笑いキャラクターが、混ざっているような明るいキャラクターであった。

友だちも直ぐに出来たし部活動にも打ち込み高校生活は順風満帆のようにみえた。勿論そう見えたのは、彼の元から離れて自分の好きなように生きたいという欲望を完全に抑圧し、意識から隠し、彼と同一化したからである。
同一化することによって第一の屈辱、自分自身であることから逃れることによってである。

私の芸風は殆ど彼の芸風のパクりであった。それでいいと思っていた。彼は(私にとって)絶対的な存在なのだ。枯れには間違いがなく全てにおいて正しいのだ。彼を真似ることは何ら恥ではない、寧ろ誇りにすべきことである。
屈辱と卑屈さの極みだが、当時の私はそれでいいと思っていた。

前回の記事で彼の誇大妄想的自惚れも模倣すると書いたが、彼のお笑いキャラを演じている場合は友人関係は概ね良好、しかし誇大妄想的自惚れを演じている場合は友だちに嫌な顔をされるのであった。

中学の頃に人間不信に陥って誰も話し相手がいなかった時に彼が私の側にずっといてくれたことは前に書いたが、あるクラスメイトが嫌われてクラスじゅうからシカトされたことがあったが、その時にかつて
クラスメイトに話し相手が一人もいなかった時に唯一話し相手になってくれた彼と私の関係が、そのクラスメイトに嫌われて総シカトを受けていた青年と私の関係にずらされて再現されるのであった。

授業終わりの10分休みになるといつも一人でいる彼の元に行き私が話し相手になってあげるのであった。一種の転移げんしょうが再現されるのであった。
そして、人間とは不思議なもので、これは絶対的な存在である彼が私にしてくれたことと同じことだから正しいことなのだと考えている自分と、これは、一種の転移現象だなと考える二人の私がいるのであった。(その頃はまだ転移なることばは知らなかったが)
彼の真似をして、シカトされている青年に寄り添うのは特に何の実害もないのだからいいとして、厄介なのは彼の誇大妄想的自惚れも対人関係で再現されるのであった。
そのシカトされていた青年に対してついつい上から目線の説教染みた事を語ってしまうのである。その青年は結局そんな私にキレて持っていた木の枝を投げつけてどっかに言ってしまった。

それ以外にもあるとき、友達に『◯◯にならなんでも喋ることが出来る』と言われた時には『それは、それだけ俺が凄いから』と、言ってしまい。友達に怪訝そうな、顔をされてしまったことがある。
(そのシカトされていた青年は一時私が側にいたのが効をそうしてまた友達と仲よくなっていたから、決して無駄でもなかったw)

誇大妄想的自惚れは表に出すと嫌われてしまうと分かったのでその後、ほとんど顔を出すことはなかったが、このようにかつての私と彼との関係が他の者との関係にずらされて再現されるのであって、これはフロイトの言うところの転移現象であった。

『◯◯にならなんでも喋ることが出来る』と書いたがこれも彼の模倣によるところのものであると思われる。つまり、彼は私のことをボロくそに貶す一方で何でも受け入れてくれるんじゃないかと信じてしまいたくなるくらい寛容なのであった。

その寛容さも、模倣したために高校時代のクラスメイトは私になら、なんでも喋れるきになったのであろう。

コピー品としての私が出来上がった訳であるけどもそれは彼の意図するところのものだったのではないかと考えられなくもない。
彼は説教臭く飢えから目線で人を諭す様なところがあって、私意外の人間にも鬱陶しがられていた。
で、彼が私を非難、中傷したことの意図の中にあくまで善意としての同化を求めるところがあったのではないか。
かつて日本が主観的にはあくまで善意として、台湾人と韓国人を日本人にしたように、彼も一種の正義感、善意として、自分と同じ人間を作ろうとしたのではないか。
日本人が民族的危機に遭遇すると近境の民を日本人にしたがったのと同じ理由で彼も精神的危機に瀕して自分と同じ人間を作ろうとしたのてまはないか。

これは十分に考えられる、彼も私に冷たくされて、結構追い詰められていたようだし、集団と個人が同一の精神構造で動くという観点から言っても十分にあり得ることである。
『彼は間違った考えをもっているのだ、だから俺はあくまで善意として彼の歪んだ性格を正しまっとうな人間をつくるのだ』と、
本当は許され無いことである同化政策を、自分の中で合理化したわけである。(韓国人の恨みがいまだに止まない原因の1つに同化政策があったと思われるが)
実際にいっしょに遊んでいる時に彼の芸風を真似ると実にうっとりした表情で私をみるのであった。

今にして思うとぞっとするが、彼はもう1人の自分を作ろうとしていたのだ。