狂人日記

ある男の人生記録です

気づいた時には手遅れ。ハイロウズを解散に追い込んだのは私です。

私はこのブログである奴に洗脳されていたと散々書いてきた。それで私は強迫観念が脳にこびりつき強迫神経症になってしまったのである。この強迫観念は手強く私の思考、行動を制限した。奴に植え付けられた観念が原因だと思っていたのだが、どうやってもその強迫観念を振り払う事が出来なかった。私はこの強迫観念の構造的本質を知りたかった。しかし20年以上足掻き苦しみ、色々と考えてきたのだがこの強迫観念の構造的本質がわからなかった。私はもう諦めようとした。しかし、この強迫観念は厄介で諦めることすらも否定され、諦めることも出来なかった。私はまさに四方八方を塞がれたのである。諦めることもできず、また諦めないことも出来ないのであった。なんとも厄介な強迫観念であり全てを否定されるのである。例えば景色を見て美しいと感じたらその気持ちを否定され、或いは本を読んだり、映画をみたり、音楽を聴いたりした時に感動したらその感情を悉く否定されるのであった。しかし20年以上足掻き苦しんだ末に遂にその問題の構造的本質が分かってしまった。私はそいつに洗脳されていた為に自分の人生を生きる事が出来ず好きなことを好きと言えずなんともしみったれた冴えない人生を歩んできたのであるが、そのあまりにもしつこい強迫観念の謎が解けたのである。その謎とは、私の中に巣食う負い目と罪悪感と絶対化された奴の存在であった。奴は事あるごとに自分がいかに不幸な人間かを私に言って聞かせた。しつこいくらいに、私の心の中に植え付けるくらいに言って聞かせた。それで私の中に奴より幸せになってはいけない。奴を差し置いて人生を謳歌してはいけないという観念が巣食うようになったのである。そして奴が私の中で絶対化されていたこと、これが全てであった。私は何かしようとするとこの強迫観念が邪魔して何も出来ないのであった。最初はこの強迫観念の原因は私に様々な観念を植え付けた奴本人にあると思っていたがそれは間違っていたのである。私自身が私の行動を制限していたのである。私の中のもう一人の私が私の後ろ髪を引っ張るのである。それは奴の事を恐れてるもう一人の私であった。奴を差し置いて幸せになってはならないともう一人の私が私を監視するようになったのである。私は何も出来なかった。行動に移そうとするともう一人の私に後ろ髪を引っ張られた。とにかく私は奴より幸せになってはならないのであった。奴は私が自由に動けないように制御したかったのであろう。私の事を幸福にしたくはなかったのだろう。そこで奴は私を自分の言いなりにさせる為に自分の事を絶対化して自分の支配下に置こうとしたのだろう。そして私は絶対化された奴が私にとって本当に絶対的な存在になったしまったのである。そして奴は私の好きなものを悉く否定した。とにかく否定しまくった。絶対化された奴に否定された為に私は自分に全く自信が持てなくなったのである。私の事を否定する為には自分を絶対化する必要があると奴は思ったのだろう。奴は自分がいかに優れた人間か私に言って聞かせた。奴の態度が変わったのは私が奴に対して冷たい態度を取るようになってからである。今まではあの2人は兄弟かというくらい仲が良かったが、私は奴の事が突然嫌いになったのである。私は当時ほとんど奴としか遊んでなかった。その事が物凄く引け目に感じたのである。奴はそんな私の事を許せなかったのであろう。俺には冷たくするのに他の人間には優しくするのが許せなかったのだろう。そこで奴は私に罪悪感と負い目を持つように様々な観念を植え付けたのだろう。そしてその植え付けた観念にもう一人の私が忠実に従うのであった。絶対化された奴と奴に忠実になる私との相互作用で私は何も出来ず、また自分に自信が持てなくなったのである。奴は自分の事を絶対化し、自分がいかに不幸な人間か私に言って聞かせた。それは情に訴えているかのようであった。1+1は10にも100にもなると訴えかけてきた。1人ならば出来ないことでも2人なら出来ると訴えてきた。明らかに自分の都合の事しか考えていなく、私にとってはマイナスになるかもしれないという可能性は全く眼中にないようであった。全く虫酸が走るが、しかし結局私は他人と仲良く出来なくなってしまったのである。かつての旧友とも仲良く出来なくなってしまったのであった。罪悪感と負い目が邪魔をするからである。私の強迫観念の最大の原因は奴に対して抱いている罪悪感と負い目であった。その結果私は何も出来なくなったのである。私自身が私の事を監視して絶対に幸福になれないように私の行動を制限しているのである。奴の復讐をもう一人の私が尋常じゃないくらい恐れているのである。超自我として私自身の視点が内在化されたのである。フロイド流に治療するとなると自分自身の感情に忠実になって自分の欲望を満たす事を許す事になるだろう。超自我に負けない強い自我を築く事になるだろう。私は岸田秀やフロイドの本を読んで問題を解決しようとするんだが強迫観念が邪魔をして本を読めないのであった。もう一人の私が「お前は問題を克服して幸福になってはいけない」と私に語りかけてくるのであった。この強迫観念にはほとほと手を焼いた。お分かり頂けるだろうか。問題を克服しようとすると強迫観念が邪魔するので問題を解決出来ないのである。私はまさに八方塞がり状態になった。それに私の中では奴が絶対化されていた為に岸田秀よりもフロイドよりも奴の方が立場的に上位に立つのであった。「そんな奴よりも俺の方が上だよ」と私の中に巣食う奴が語りかけてくるのである。従ってどんな分析理論を持ってきても奴の存在に書き消されるのであった。しかし、希望はあった。岸田秀とフロイドは分析家である。従って分析するのを邪魔する強迫観念を分析することは出来るのである。それは辛い道のりであった。地面は湿って険しい森の中を歩くかのようであった。それで何故、分析しようとすると強迫観念が邪魔して分析出来なくなるか分析しようとした。私は八方塞がり状態の中で強迫観念とまるで綱引きの勝負をするかのように分析したのである。はっきし言って重要なのは気合いと根性であった。分析しようとすると「分析するな」ともう一人の私が邪魔をするのである。「お前は奴に冷たくした。従って罪人である。だから問題を解決して幸福になることは許されない」と私の邪魔をするのであった。しかし、私は気合いと根性で分析しまくった。その結果問題の根本原因は奴に対して抱いている罪悪感と負い目と絶対化された奴の存在であることが分かったのである。原因はこの3つであった。今では私は自分の感情に忠実になり自分の欲望を満たすことに抵抗はない。今でもいくらか私の中に奴に植え付けられた観念が残っているが昔よりは大分ましになってきた。自分のしたいことが見えてきた。自分のすることに今はさほど抵抗はない。音楽もまともに聴けるようになってきた。こんな音楽だったのかと私は驚いている。今までと聴いてた音楽が違った音色を奏でるのだ。人生が大分ましになったが、しかし、気付いた時にはもう手遅れだ。私はいい歳したおっさんになってしまった。出来る事が限られている。私の中に巣食う奴が「ざまあみろ」と私を笑っているのである。なんとも糞虫酸が走るが現実的に私はもういい歳したおっさんなので出来ることは限られている。過去の後悔もある。しかも集団ストーカーの被害者でもあるのだ。したいことが今は何も出来ない。まるで地獄の人生を生きてるようだ。集団ストーカーには一刻も早く終わってもらいたい。私の人生の残り時間は少ない。こいつらに情はないのか。被害者が好きな事が何も出来ず足掻き苦しんでる姿を見てもなんとも思わないのか。どこまでも非情な奴等だ。もっと早く岸田秀とフロイドに出会えてたら私の人生は変わっていたかもしれない。問題をもっと早く解決出来てたかも知れない。人生を謳歌出来ていたかも知れない。泣けてくる。私を泣かせてくれ。

奴は私の好きなものを否定し自分の好きなものを植え付けてきた。その代表的なのがブルーハーツであった。私はブルーハーツのファンではなかったが奴の事が絶対化され否定されるのが恐ろしかった為にブルーハーツのCDを好きでもないのに買うのであった。私はローリング・ストーンズやレッドホッドチリペッパーズが好きだった。奴はブルーハーツを理解出来ない人間は馬鹿だとか、ブルーハーツは奥が深いと語っていた。それで私は馬鹿にされたくなかった為にブルーハーツの事を理解しようと必死になてブルーハーツを聴くのであった。しかしどうしても好きになれない。私はブルーハーツを聴き1人悶々と苦しんでるのであった。それで私はブルーハーツのCDを机の引き出しの中にしまって封印するのであった。ブルーハーツは10年活動し解散したが甲本ヒロト真島昌利が直ぐに新バンド、ハイロウズを結成した。私はもちろんハイロウズのファンではなかったが、当然の如く私はハイロウズのCDを買うのであった。そしてコンサートにも当然行くのであった。強迫観念が私に「コンサートに行け」と語りかけてくるのであった。で、コンサートに行ったのだが特に好きでもないのに私はコンサートで暴れまくった。信じられないくらい暴れまくった。しかし私はハイロウズが好きではなかった。私は多分ハイロウズに自分の気持ちを分かってもらいたかったのであろう。それで暴れまくって自分をアピールしたのであろう。甲本ヒロトに嫌がらせをしたりもした。ある曲にワーと掛け声から始まる曲があるのだが、そのワーの部分を私に叫ばせてあげると甲本ヒロトが私にマイクを向けたのである。席は1番前の中央だった。それでマイクを差し向けられた私はワーと叫んだのだがマイクが口に当たったために私は汚いので口を拭う仕草をした。私はこの現象は好きな女の子に自分の事を知ってもらいたいが為に敢えて嫌がらせをする心理に近いと思うが、私は死ぬほど暴れまくったのでハイロウズの人達の印象に残ったのであろう。セカンドアルバム、タイガーモービルの中に収録されている曲、ブンブンの中で、「どうか忘れないで、俺は忘れないぜ、達者でなまた来るぜ」と歌ってるのだが、これは私に向けて書いた曲であろう

私は計5回くらいコンサートに行ったのだが、暴れまくったのは最初の2回くらいでそれ以降のコンサートでは信じられないくらい静かになってしまった。私は黙って甲本ヒロトを凝視していた。甲本ヒロトを試すかのように凝視した。甲本ヒロトは気分が悪かったのであろう。それからであるハイロウズの曲風が変わったのは。サードアルバム、ロブスターは松本人志がジャケットデザインを手掛けているのだが多分暴れまくる私を見てあいつはヤバい奴だとびびったのであろう。そこで私よりもある種の狂気を持っていると思われる松本人志にジャケットデザインの依頼をしたのであろう。ロブスターの次に発売されたアルバム、バームクーヘンの中でハイロウズは、「ぶっ壊れてもいいじゃん」とか「カッコいいじゃん、常識外れ、道徳破り」と歌っていた。また二匹のマシンガンという曲では、「夜の宝石を化石に変えて笑ってる2匹のマシンガン」と歌っていたがこの二匹のマシンガンとは私と奴の事である。奴がノリノリでヘッドバンキングする観客を指を指して小馬鹿にしていたのである。そのことを歌った曲であろう。私は別に小馬鹿にしていなかったが私も小馬鹿にしていると思われたようである。私は奴のこういうところが大嫌いであった。また「弱いものは助けたいけど臆病者は鬱陶しいだけ」と歌っているがこれは私のことである。更にハスキーという曲のなかで「歌おうハスキーボイス」と歌っているがこれはセックス・ピストルズジョン・ライドンのことである。というのも私はジョン・ライドンのライブパフォーマンを真似て大暴れしていたのである。それで今まで暴れまくっていたのが突然静かになったものだから上記のことを歌ったのである。松本人志がジャケットデザインを手掛けたロブスターのコンサートには私は行かなかったのである。ただ単にファンではなかったために行かなかったのだが、恐らくハイロウズの人達は私が松本人志にびびってコンサートに来なかったと思ったのであろう。それで、次回作のバームクーヘンの中で「弱いものは助けたいけど臆病者は鬱陶しいだけ」と歌ったのであろう。私はバームクーヘンツアーには行ったのである。奴が頼んでもいないのに私の分までコンサートチケットを買ったからである。私は別に行きたくなかった。バームクーヘンはノリノリでパンクビートのアルバムであったが私は全く暴れないのであった。甲本ヒロトは私を見つめ何でかつてのように暴れないんだと訴え欠けているようだった。真島昌利が「ぶっ壊れてもいいじゃん」と絶叫する。しかし私は暴れない。正直ファンではないからだ。コンサートも後半にさしかかり会場もヒートアップするなか私は突然何かが弾けとんだように暴れまくった。何もかもぶち壊すぐらいに暴れまくった。何で暴れないんだという甲本ヒロトの気持ちは私に確かに伝わっていた。何か暴れないと悪いような気がしたのである。そしてコンサートが終わりハイロウズのメンバーが帰り際に甲本ヒロトが私に笑顔で手を振っていた。非常に嬉しそうに手を振っていた。しかし私は無視した。ハイロウズに私が奴の言いなりになってると分かってもらいたかったのであろう。自分の気持ちを分かってもらいたく、敢えて冷たくしたのだろう。私は甲本ヒロトの期待に応えることはなかった。バンドのメンバーはやはり落ち込んだのであろう。それで次回作のリラクシンではバームクーヘンとは対称的に雰囲気が全体的にメローなアルバムになってしまった。松本人志主演のテレビドラマ、伝説の教師の主題歌になった青春が収録されているが、そのアルバムの中に、やだ、という曲があるが、これは私のせいでロックを純粋に楽しめなくなった憂鬱を歌った曲であろう。その後私はハイロウズのコンサートに行くことはなかった。ファンならば気付いていたであろうハイロウズの異変に。実は私のせいでハイロウズは変わったのである。多分私は自分だけが不幸なのが我慢ならなかったのであろう。ハイロウズを私と同じ不幸に陥れたかったのであろう。そして洗脳されてた辛さをハイロウズの人達に分かってもらいたかったのであろう。リラクシンの次に出したアルバムの中の収録曲に、恋のダイナマイトダンスという曲があるのだが、甲本ヒロト作詞作曲の曲だが、その曲の中で甲本ヒロトは「あんな気分はもうたくさん」と歌っていた。相当追い込まれていたのだろう。私のせいだ。しかし、私も八方塞がりになるまで追い込まれていたのだ。たかがあれだけの事で弱音吐くなよと思ったのであった。結局ハイロウズは2枚目のアルバムタイガーモービル以降調子を取り戻すことはなかった。そしてデビューして10年で解散してしまったのであった。私のせいである。私が嫌がらせをしなければ解散することはなかったと思う。私はこの問題に関して蹴りを付けたいと思っておりハイロウズのメンバーに直接お会いして話をしたいと思っていた。奇跡的にこのブログを読んでくれているといいが、何度も説明した通り集団ストーカーは誰もが知る犯罪なのである。従って私の存在はどうも有名人も知っているようで、松本人志から仄めかしが沢山あったし、甲本ヒロト真島昌利からも仄めかしがあった。だからひょっとするとこのブログを読んでいるかも知れない。そうだと嬉しいが、私の気持ちが伝わってくれたら良いと思う。正直なところ私も尋常じゃないくらい追い詰められていたのである。その気持ちを誰かに分かってもらいたかったのである。奴の悪口を言うのは当然の如く禁止事項であり、私は誰にも不満をぶちまけることが出来ず1人悶々としていたのである。私が思うに甲本ヒロトは私と同じ精神状態になったのであろう。つまり私の視点が超自我として内在化されたのだと思う。それで私と同様、罪悪感と負い目を持つことになったのであろう。バームクーヘンの罪と罰という曲の中で「 誰かに疑われる前に、洗いざらいぶちまけてやる、罪ならば全部認めるが、罰を受けてる暇はないぜ」と歌っている。私が奴に対して罪悪感と負い目を持つ羽目になった為にその私の罪悪感と負い目がハイロウズ、特に甲本ヒロトに移植されたのであろう。それはそれは辛かったであろう。私自身が超自我に苦しめられてきたので分かるが、自分が原因で甲本ヒロト超自我に私の視点が内在化されたわけで、だから変な話だが気持ちは痛いほど分かるのである。その後、ハイロウズは解散して甲本ヒロト真島昌利クロマニヨンズを結成するのだが名曲は沢山あるが、かつての頃のように純粋にロックンロールを楽しんでいるとは思えない。ハイロウズ時代に、有名、という曲を書いているのだがその曲の中で「透明人間はやだ、認められたい」と歌っているのだがこの曲もまた私の事を歌った曲であろう。また、不死身のエレキマンという曲があり、その曲の中で、「ああ、自分が自分の世界の主人公になりたかった。子供の頃に憧れていたものになれなかったなら大人のふりすんな」と歌っているがこれも私に向けて書いた曲であろう。しかし、私が思うにこの曲は私よりも、奴にこそ相応しい曲である。奴は自分の事を絶対化していたが、自分のことを理解してもらいたい、知ってもらいたいという気持ちが誰よりも強い男であった。自己評価が異常に高く、私にいつも自分がいかに優れた人間か言って聞かせたとは既に説明したが、私に振り向いてもらいたかったのであろう。しかし、私は奴の期待に応えることはなかった。奴は自分を絶対化していたくせに結局何者にもならなかった。芸人を目指してようだが芸人にならなかった。それは自分の才能に限界を感じていたからであろ。ネタを見せてもらったがそのネタは関西人でもないくせに関西弁を使いダウンタウンのパクリで全然面白くなかった。従って上記に挙げた曲は私よりも奴にこそ相応しいのである。恐らく奴のコンプレックスが私にとりついたのであろう。そのコンプレックスをハイロウズは見抜いたのであろう。とにかく奴は自分に興味をもてと奴は必死であった。奴のせいでもあるが私はハイロウズに謝りたいと思っていた。しかしもう一度繰り返すが私も死ぬほど追い詰められていたのである。にっちもさっちもいかなかったのである。そしてその気持ちを誰かに語りたいのを強迫観念が邪魔をして誰にも語ることが出来なかったのである。今ではこうしてブログで不満をぶちまけることが出来ているが20年以上に渡って私は誰にも不満をぶちまけることが出来なかったのである。その苦しみを分かってもらいたかったのである。甲本ヒロト真島昌利は音楽界では知らぬ人間はいないくらいの有名人だが、ブルーハーツ時代にはちょっとしたセンセーションを巻き起こしたが音楽業界の人間も彼等2人の異変ぶりには気付いていたであろう。彼等の変容ぶりが音楽業界ひいては社会全体にいくらか影響を与えたことがあったかもしれない。私も業の深い人間で彼等2人を変えたのは俺だよと密かに優越感に浸っているのである。我ながら救いようもないが、しかし、この問題を決着させたいという思いがあるのもまた事実なのである。何か創作活動をして彼等2人に認めてもらいたいという気持ちもあるのである。奴はあれだけ自己評価が高かったくせに結局何者にもなれなかったのだからただのホラ吹きであろう。奴に勝つためにもハイロウズに認めてもらう為にも何か事を起こしたいと思っているのである。罪と罰の中で「結局何もやらないなら重罪」と歌っているがこれもまた私に向けて歌ったのだろう。私が何か創作活動をして二人に認められた時にこの問題は解決するのであろう。ハイロウズにはすまないことをしたと思ってる。ハイロウズを解散に追い込んだのは私であるのである。すまぬ事をした。

不死身のエレキマン
https://youtu.be/i4OqESp3PlE

二匹のマシンガン
https://youtu.be/o6kysKeP3c0

ハスキー
https://youtu.be/eLu02fNBBTM

ガタガタゴー
https://youtu.be/OP29F7e6lM8

青春
https://youtu.be/ZgMBSuMkx0E